5年半の占領統治を終えて本国に帰国したD.マッカーサーが、後日、日本の民主主義の成熟度をたとえて使った言葉です。
言葉の真意を巡ってはいろいろあるようですが、この一言で当時の日本人のマッカーサー熱が急に冷えたということです。
欧米の民主主義がどれほどのものなのかは別として、“日本の
民主主義”が12歳程度と表現するのは、謙虚に考えれば、今でも妥当だと思われます。
マッカーサーが使ったこの表現は、戦争に突入して行った、あの頃の日本の民主主義のレベルについてです。
ですから、今日、70年近くを経て、12歳が何歳になったかということです。
経済大国になったのですから肉体が成長したことは間違いありません。
そして肉体を支える知恵も付いたでしょう。
しかし、今、「幸福度」という指標で考えると、苦労して一流企業に就職できた若者が、ところが、そこに本当の自分の居場所を見つけられずに、静かに苦悩しているような・・・。
さらに今世紀、その肉体と知恵の持続も衰えはじめていて、何とかしなければという思いが、復古的な道徳回復論と、筋肉鍛錬論をかついだ勢力の台頭を導きはじめています。
こんな今を見る限り、12歳の日本のその後は、肉体の成長にともなう精神の成長は伴わず、実はもっと退行しはじめている可能性もあります。
少年の特徴は、責任という概念がないことです。
間違ったことは反省し、自らの意志で社会全体に支持される道に生きる責任。
それが育たなければ永遠に少年なのです。
そういう意味で、今、すぐ隣りで世界を相手に反抗している12歳の少年と、どれほどの違いがあるのでしょうか。