4年ぶりのクラス担任。
定時制でははじめて。
正直、この歳では特別な感情はなくて、極、自然体。
人数は15名しかいないので、たしかに家族のような感じです。
なんでだろう。
ただ、一方責任も少しは感じています。
不思議とセンター試験対策とかやってた学校よりも、自分の中に授業に対する意欲を感じています。
特別なことをやる訳ではありませんが、同じメンバーと3年目ともなると、家で一緒に勉強している雰囲気であるので、毎日リラックスした気持ちで授業に向かえます。
というより、自分自身がそうなるようにして来たのだと思います。
ここに集う若者たちにとっては、それが一番良いと感じるからです。
具体的にいえば、
起立、礼なんかありません。
大阪の方のエライ人に怒られそうですが・・・。
プリントを渡しながら、世間話しをして、彼らが勝手な話をするのを聞いてます。
黒板にスクリーンを貼り付けて、プロジェクタを起動して画面が段々出てきます。
いつもの動作は、勝手な話をしながら。
5分ほど経過。
殆ど、勝手な話しを強制的には打ち切りません。
「アレッ」って感じで、画面に何か映りますね。
画面が世間話しを終わらせてくれます。
仕方ない、授業をやろうかな。
私たちはどうしようもない間柄です。
さて、画面が次々出てくると、それを見て、また勝手なことを言い出す人が・・・。
いや、今度はどんどん言い放って欲しいですね。
時々文字が出てきて、手が動きます。
この学校に来て、2年間。一度も説教したことがありません。
実は、カッと来たこともありますが、自分の怒りが何であるのか、その正体を考えると、それはここにいる人間が怒って欲しいのではなくて、ここにはいない人間が要求していることに気づきます。
難しい話は抜きにして、
それでも、そのどこかの人間に要求されていることに対して、
その要求に従わないことで、要求実現に近づいている感触があるのも現実で、それはまた意図的な精神ではなくて、自然であるということなのです。
ここは、そのような世界であります。