びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

学校教員の未来像


 先日、あるところでの話し。
 
 
 半地下にコンクリを打ったお宅で、そのデコボコで水があちこちで溜まってしまうような工事を見て、
 
 「しかし、これはスゴイ仕事ですね〜・・・」
 
 「まぁ、何でもやっちゃう人がやったからねー」、と。
 
 
 こういう「何でも屋さん」は重宝がられます。別に完璧な工事しなくても、低料金で生活上の不便を適当な仕事でカバーして、面倒な手続きなしで、お財布から支払って、
 
 「ああ、助かった〜」、みたいな。



 今朝、新聞1面に、若者達のネット問題についての記事があり、学校は問題意識は感じつつも、実際には十分対応できていないという現実を指摘して、何とかしなければならないのでは、という記事が載っていました。
 
 
 昔々の「バイク3ない運動」の時から、社会問題化したことの解決を学校に任せる風潮ができあがってしまって、今や、簡単な研修をうけただけで不審者に立ち向かったり、子どもの問題で実際はその親を説諭したり、日本中のあちこちで「凸凹コンクリ仕事」が発生しています。
 
 
 しかし、かつては、これは悪いことではありませんでした。本来授業が仕事の教員が、それぞれの個性を特性として、
 
 
 「あっ、これは何々先生にお願いしようっ」
 
 
 みたいに、実は当の先生もそのことが好きだったりして、プロ顔負けにきれいに“コンクリを打って”しまえたりすることもありました。
 
 
 
 今、こういうタイプの先生は学校の管理強化で消滅しました。
 
 
 余計なことをすると損をする。余計なことはしてはいけない。余計なことをする時間がなくなった・・・。
 
 
 しかし、にもかかわらず、
 
 
 需要は益々増えてしまって、好きでもない人が仕方なくやるので、“本物のデコボコ仕事”になってしまって、結果、文句をいわれて、下手をすると処分対象になってしまうかも知れないストレスを抱え込んでしまう・・・。
 
 
 私は、かねてから教員の仕事は学校という“すきま産業”の職人だと感じてきました。
 
 
 特定商品を扱う事業と異なり、多種多様な人間を育てる中で、数十名のスタッフの個々の特性が、それぞれ多様性に対応するポジションを守って、休日返上で自己研鑽して仕事にあたる。
 
 
 地位も名誉もない立場に自負を持ち、プロには勝てないが、しかし実際は痒いところに手が届く仕事を提供できていた・・・、ような。
 
 

 昔話は以上ですが、これからの学校教員がどのような社会的存在になって行くのかが、、楽しみです。