びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

高校日本史必修化

 
 
 明けましておめでとうございます。
 
 
 2ヶ月書込をサボってました。
 
 
 この2ヶ月の間に、内外重大な出来事が沢山あって、いろいろ考えさせられ、思うことも多々ありましたが、適当なことは書けず、沈黙してしまいました。
 
 
 その時間、自分の世界に逃げていたとも・・・。
 
 
 
 さて、少し前から高校の日本史を必修にという話が流れていました。
 
 
 高校での自国の歴史学習が必修でなかったことを知らない人も多いかと思います。昔は、どの科目も必修でしたので。
 
 
 私が教員をはじめて10年くらいの頃に、グローバル化の掛け声の下、世界史が必修になり、同時に各学校の教育課程の類型化、コース制などによって選択科目の展開授業が増加して、一般的に文系には日本史があり、理系には日本史が無くなりました。
 
 
 当事者として、これには大きな疑問を感じていましたので、日本史が必修化されることには基本的には賛成です、、、が。
 
 
 なぜ、今になって必修化なのでしょうか?
 
 
 こんな記事がありました。
 http://toyokeizai.net/articles/-/13884
 
 
 文末が、次のように締めくくられています。
 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
『そこで私は、「グローバル人材として大切なことは、語学力(英語)はもちろんですが、自分が誰か知っていること、そしてそれを表現できることです」と答える。つまり、ホンモノの日本人になることだ。

日本で日本人だけの中で育つと、同じ文化、同じ価値観が共有されるため、自分が誰かなど意識することはほとんどない。まして、それを表現することなどもっとない。“空気”を読んで行動するのが最も賢い生き方になる。

しかし、グローバル社会、多文化共生社会には“空気”など存在しない。徹底的に自分のこと(日本人であること)、そして、その価値観(なんのために生きているのか)を話さないと、相手には何も伝わらない。

そのためにはやはり、自分自身の歴史を知ることだ。』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 現在、国際社会の緊張度が増す中で、諸外国と対峙する時、単に経済力や軍事力だけでは立ち位置が定まらないので、「自国民意識」の確認が必要であろうという認識がそこにあるのだと思います。
 
 
 筆者は、日本人は歴史的に「多民族共生国家」だと説明し、それは宗教的、民族的な純粋性よりも、太古の昔より諸外国の文化を吸収して成立した国家であることを、天皇の「ゆかり発言」も引き合いに出して論じています。
 
 
 この一文の内容自体は、教育現場で展開するのは厳しいものといえます。
 
 
 日本史必修化を肯定する立場の一つではあるかと思いますが、今、政治が日本史の必修化をすすめようとする思想とは異なるからです。
 
 
 ともかく、ある意味選択制に逃げていたこの問題が、“あえて”いよいよ全国民(高校進学率は90%を超えている)必修ということになれば、とてもイデオロギー的な科目になることは間違いなく、現政権が継続すれば、教科書検定や学習指導計画を含め、様々な点検が入るようになるのではと予想されます・・・。