びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

近現代史を教えること

 
 少し“長編”になります。
 
 
 
 最近の状況を考えると、とても恐ろしいことだと感じます。
 
 
 自分が高校生の頃、大抵の歴史授業は近代の入口あたりで終わってました。
 
 
 まじめに勉強したのは教員採用試験の時に、とにかく専門教養として教科書一冊分の知識が必要になった時だったか・・・?
 
 
 ところが、教室に立つようになって直に、「教科書問題」が起きました。
 
 
 恥ずかしながら、たいした問題意識のなかった自分からすれば、中国や韓国の抗議や、国内で起きていた教科書裁判の行方なども、“客観的事象”の一つという意識だったかも知れません。
 
 
 しばらくして、歴史授業の進度が校内で、特に教科内で指摘されるようになり、最低でも戦後改革期くらいまでは進めようということになり、特に入試問題でも頻出するようになったことで、それがノルマのような空気に変化しました。
 
 
 さて、問題は、、、。
 
 
 これは私だけではないと思うのですが、どうやって教えるのかということです。
 
 
 歴史を見るための“立脚点”は、どの時代を扱うのであっても必要なのですが、日本の近現代史で、前半の大陸での戦争の扱いについて、“客観的に教える”ことが難しいのです。
 
 
 隣国の歴史教科書を見ると、非常に明確に自国の正当性を軸に、日本に対する明確な批判が書かれています。
 
 
 それが客観的事実であるとしたら、お隣の国の教科書を参考書にしても構わないのかも知れません。
 
 
 しかし、それを実践すれば、いわゆる“自虐史観”と罵られることになります。
 
 
 そこで、じゃあ、どうすれば良いのかと悩み、時間を掛けて詳細な教材研究に向かうことになります。ポイントは、「客観的史料に基づく歴史の確認」以外ありません。
 
 
 しかし、学校教員は純粋な研究者になれるほど時間のゆとりはありません。最近では夏休み中の研究活動も自由にできません。
 
 
 ここで重要になってくるのが「検定教科書」です。多くの研究者の成果をベースに、現在の内外情勢及び政治的諸問題に配慮しながら記述されている筈なので、これをしっかりと用いることが近道だといえます・・・。
 
 
 ただし、教科書を読んだことのある方ならば誰もが思うことは、この“読み物”は、右も左もない、無味無臭にすることが肝要なので、いったい全体、そこから学ぶ本質的なことは何なのかということになります。
 
 
 隣国の、ターゲットが明確でメッセージ性の強い教科書と違い、そこには、殆どメッセージがありません。
 
 
 
 視点を変えます・・・。
 
 
 隣国の教科書で学んだ人々は、現在と未来に向けて日本という国と友好的でありたいと思っているのでしょうか?
 
 
 また、今の日本(政府)が、隣国と敵対的になりたがっているとは思えません。
 
 
 重要なのは、隣国にとっての、“こと”の問題が「歴史認識」であると主張されていることです。
 
 
 次代を教育する立場にいる現場教員は、その歴史をどのように教えるべきなのか?
 
 
 今日、双方の国の学者が互いに協力しあって歴史の再構成に向かってもいます。このことが、単に近現代史絡みの問題にのみ目的性を持つのではなく、東アジアの人類史的な理念を基調にして欲しいと願います。
 
 
 大陸東端の島国日本が、広大な中国大陸と、隣国の韓国・朝鮮と無縁でいられることなど不可能であることは歴史が示しています。そこは同じ文化圏であるといってもよいでしょう。
 
 
 それだけに・・・、
 
 
 1870年代以降に起きたことは何であったのか?
 
 
 
 
 「近代化」という言葉。これは西洋史の概念です。
 
 
 この概念があらゆる形をとりながらアジアに向かった時、アジアにはその「近代化」という言葉の対語を持ち得ませんでした。
 
 
 切迫した時代転換の中で、日本には「それ」を受け入れるか、滅びるかの選択しかなかったといえましょう。それほどに当時の日本は貧しく、“持たざる国”であった訳です。分立した何百の極小の諸侯を便宜的に力関係で掌握する統治機構があっただけです。
 
 
 一方、同じアジアにあっても中国は、悠久の歴史とともに様々な財産を持ち、それを基盤とした帝権も存在していました。悠然と存在する巨像に、「近代化」という猛獣が襲いかかろうとしていた時期でした。
 
 
 近代化は、旧来の版図の概念を覆して、まるでベンチャーが大企業を凌駕するような現象を生み出しました。アジアの殆どが餌食になってしまいました。
 
 
 この時期、その後の日本がどのような道を歩んだかは申すまでもありません・・・。
 
 
 一国史として考えれば、この150年の歴史を誇りに思う人もいるでしょう。この150年間は、ちょうどその半分の頃で前後に分かれます。問題になっているのは前半で、その時代には世界全体に加害者と被害者がおり、現在では、その加害者同士はお互いの責任は追及していません。
 
 
 中国と朝鮮は、この図式の中では被害者となり、日本は加害者であり、さらに直接的侵略を行ったという、一段と重い責任を問われています。
 
 
 近代史の中では、中国を貪ったのは日本だけなく、多くの列強が中国を分割しました。その中に日本も加わったことが、民族意識にねじれを起こしました。被害者であってもよかった日本が加害者となったということ・・・で。
 
 
 後半の戦後史は、この悲しむべき歴史の修復に費やされたといえます。そして、今、中国は再び巨大国家として甦り、社会主義から成長した資本主義へと、マルクス理論とは真逆の道をたどって、いよいよ近代史の怨嗟を乗り越え、悠久の歴史のプライドを取り戻そうとしています。
 
 
 そのプライドからして、“小国日本”のこだわりなどは、鎌倉幕府を見おろしていたフビライの気分かも知れません。
 
 
 中国政府、そして反日市民の叫んでいる「日本は反省していない」というのは嘘です。
 
 
 戦争体験者、そして戦後教育を受けてきた国民の総体はあの戦争そのものを否定評価しています。でなければ、現憲法はとっくに改正されていたでしょう。そういう意味で、歴史認識は、隣国の国民よりも正しいかも知れません。そして、現在起きている問題に対して、かつての中国の指導者が“棚上げ”の知恵を絞ったのも、同じ認識にあったからだと思えます。
 
 
 そして今、なんで海上の小さな島の問題で、都市部の無関係な人が傷つくようなことが起きているのでしょうか。それこそ両国民が協同して、この事態を画策している“首謀者”を追及すべきでしょう。悠久の歴史に遡って、東アジア共同の文化圏を思い起こし、共同の安定と平和、発展を目指す政治主導が両国に求められる筈ではないでしょうか・・・。