埼玉県北に暮らしていると、深谷駅前の渋沢栄一の銅像はもちろん、児玉町(現本庄市)の塙保己一の存在感も強くあります。
塙保己一は江戸文化として日本史で勉強しますし、渋沢栄一も明治初期の近代化の中で少し紹介されてきました。
ただし、一般の知名度は決して高くなく、″歴史上″の人物として、どのような役割を果たしたのかとなると、熱心に語る人も少なかったのではないでしょうか?
地元を除いて・・・
山形出身の人物で100年前に国際司法の世界で活躍した安達峰一郎という人がいますが、この人物の今日的意味も含めて積極的に語る人はいません。残念に思う人物の一人です。
地元に住んで、いやでも知ることが出来れば″チャンス″はあると思うのですが、残念ながらその″偉業″を知るには、自分自身の中に価値観を持たないとダメなんだなぁ と、今更に考えてしまいます。
それにしても、福沢諭吉の″ネクストバッターズボックス″に渋沢栄一が入るのは、やはり、何か意味があると思えます。
大河ドラマで人気俳優が演じることの影響力もさることながら、個人の財布の中にその肖像が入るのですから、いやでも、、その人物がこれからの社会の象徴にもなるので、その意味を考えざるを得ません・・・。
① 福沢諭吉は「脱亜論」が有名で、日本がアジアを切り捨て西欧社会に追随する理論形成をした″張本人″と語る人も多いですが、要は、その後欧米世界をも脅かす「一等国」になった日本の近代化を肯定するに値する象徴的人物だといえるのでしょう
② では、渋沢栄一はどんな感じ?
「道徳経済合一説」が、今やっと国民に紹介されはじようとしています。
″福沢路線″が結局、あの侵略戦争や今日の格差社会を導いてしまった「プライドの弊害」であったとすれば、渋沢栄一の人生そのものが、その反面にあるのかも、ともいえます。
ただし・・・・、
そのような″良心″が今、やっとこの社会に浮かび上がってきたのかと、期待も込めて、希望的に語っていいのかと思うと、ちょっと考えてしまいます。
それ程、現在この国を支配している人たちが単純だとは判断しかねます。
このことは、実は現在の中華人民共和国(中国)の″存在感″が関わっているのではないかと、、
ふっと、感じています。
※家の裏手に小川が流れ、桜の季節や最近は冬のイルミネーションなど、かつてなく手が入ってます。