国民の4分の1しか支持していない政党が圧勝しました。
これも民主主義です。
有権者の半分が投票棄権。
「何も考えなくても、連れて行ってくれる」
つまり“棄権票”は、ある意味、現状肯定です。
故に、国民の75%は新政権を支持しています。
前回が、今回より10ポイント以上投票率が高かったのは現状を否定したからでした。
裏返せば、この3年3ヶ月、政権はそれほど否定されていなかったということでもあります。
開票直後のテレビ番組で、政権与党の幹事長になる人物が、所得の分配について、分かりやすくコメントしてました。
これを受けた格好なのか、左派系政党の出演者が、見かけ景気が良くなっても労働賃金が上がらなければ、国民にとって本当に豊かな景気回復はありえない的な発言をしました。
司会者は殆ど無視、場も一瞬しらけ・・・
「あなたが言っている労働者は選挙なんか行きませんよ。ここは選挙に関心のある国民のための議論の場なんです・・・」
というような無言の空気が漂ってました。
「格差社会」という言葉がありますが、これは現実を正しく表現していない言葉だと思うようになりました。
「学校格差」という言葉もあります。かつては偏差値がものさしでしたが、今は違います。
その偏差値の違いを生み出す、背後にある生活環境の“異質性”を示しています。
それは、同じ生活空間の中の格差なのでなく、そもそも空間そのものが異なっているということ。
投票に行く人々と行かない人々。おおざっぱにいってしまえば、それが異なる2つの空間とほぼ一致するはずです。
高校授業料無償化などは、明らかにその片方の世界に生きる人々のための政策で、それが若い世代に偏在してしまっている現実を表現していました。
前政権はこの世界にうったえて政権の座につきましたが、反対の世界からの激しい攻撃に耐えきれず崩壊しました。
投票する先を失った人々が、圧倒的多数の“棄権難民”となったのです。
新政権は、違う表現でこの世界を考えているようです。これもじっくり考えてみる価値があります。