あと6時間くらいで2012年が暮れます。
年末に再びの政権交代などがあり、大震災からあと三月ほどで2年となり、経済状況や若者達の就職難など、落ち着かない雰囲気のまま年が明けます。
高齢の母親は介護施設で暮らし、子どもは社会に出ようとしているところで、そして自分は定年が迫り、この時世に給与、退職金も大幅に引き下げられて、勧奨もちらつかされて、オブラートにくるまれたリストラの臭いがします。
若者達に早く道をゆずるということにいささかの抵抗もありません。それこそ、自分の早期退職で自分の子どもが就職できるのであれば喜んで・・・、と、同じ境遇にいる人は感じているのでは。
だから、この時世、自分の高齢化の不安と若者達の不安とのダブル不安が国民全体の、このどんよりとした雰囲気を作ってしまっている・・・。
これが、どちらかだけなら、何とかなると思うのですが。
高齢者全体が裕福でゆとりがあれば、まだしばらくは若者の面倒は見ていられる。逆に、若者がしっかり就職してまともな所得が得られるようになれば、もう高齢者の役割は終わります。
今度の政権はこの前者に依拠しようとしているようですが、当面はともかく、この社会構造のままではやがて社会の衰退を招いてしまうでしょう。
今、高校生を相手に仕事をしていて感じるのは、就職に対するネガティブな感情です。多くの学生が、そこに夢を感じているとは到底思えません。
“企業戦士”などという言葉は死語になりましたね。企業戦士という言葉には、前向きなパワーを感じましたが、就職してもただ命令に従って長時間働かされる現状には、生命の消耗しか連想できません。
就職後の生き方が、本当に生き甲斐を感じられている、そんな今日を送っている若者はどれほどいるのか・・・?
一方、30年を超えて終身雇用で生きてきた世代が次々リタイアしています。この人達が、では生き甲斐をもって日々過ごしてきたのかというのも疑問です。そこには生き甲斐というより、一種の使命感があったのだと思います。社会に対して、家庭に対して。ですから、使命感の代償としてささやかな蓄えもあったのだと。
この人々はこれから本当の生き甲斐を見つけようとしています。体が元気でさえいられれば、残された能力で、それを追求できるでしょう。
実は、行き詰まった現状は、この世代がつくってきてしまったのも事実で、その責任をとらなければいけない。
では、どうやって責任をとるか?
思いつくことは、今度こそ、自分の本当の生き甲斐に正直に一所懸命にやってみる・・・。勝ち負けではない生き甲斐の世界に生きるということ。
それこそが、就職に夢を感じない若い人々に、唯一残せるメッセージなのではないかと。
とにかく、そうしないと“日本型市民社会”がやってこない気がするのです。
この国は、昔からコツコツと小さな個人が一所懸命に働くことで成りたって来た国なのですから、その個人が浮かばれない社会では、間もなく衰退します・・・。