びーすけ工房でひとやすみ

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「植民地日本」の今後

 中韓の対日批判に鈍感なのは、日本人自身が支配されている現実に鈍感なのが原因かも知れません。
 
 
 「高校日本史必修化」でも書きましたが、日本人は「多民族共生国家」だと主張する人々の考えも、実はこのことに帰結します。
 
 
 主体性のない国民性だという意味でも。
 
 
 逆に、現政権が見せている国家主義的方向性は、「日本を取り戻す」という主張に込めて、“それ”を払拭したいという強い願望が見え隠れしています。
 
 
 
 さて、グローバル化の掛け声が早期英語教育促進、英語の準公用語化となって具体化されはじめています。
 
 
 学生レベルで比較して、中国人は英語が上手だが日本の学生は駄目だとか。
 
 
 アメリカの大学の“白熱教室”でも、せっかく傾聴に値する意見を表明しようとする学生でも、英語が聞き取りにくかったすると、相手にされないとか。
 
 
 母国語以外の言語を話せないのは、アメリカ人と日本人だ、とか。
 
 
 
 歴史をみれば、日本人は漢字を使いこなし、しっかり中国文化圏に地位を築きました。
 
 
 一方戦後日本は、しっかり“親米国家”として米国経済圏に地位を築きました。
 
 
 「ギブミーチョコレート」からthis is a pen は親米教育の起点でした。
 
 
 実際上アメリカは、高度な経済国家となった日本、そして日本人については、親米であっても“知米”になって欲しくはないのです。
 
 
 日本人は「日本語」の中に閉じ込めておきたい。
 
 
 昔日本人は、“中国文化圏”の中で漢字を訓読み化までして同化し、
 
 
 今日本人は、アメリカ経済圏の中で“親米英語”で同化し、
 
 
 そして今、21世紀・・・、東西歴史の到達点にある米中両宗主国のせめぎあいの中に放り込まれてしまって、どちらも否定できず、
 
 
 苦し紛れに、
  
 
 もともと取り戻すものなどない日本を「取り戻す」という表現で、親米英語を何とか知米英語に成長させて侮れない国家となり、アメリカ経済圏での独立を果し、同時にその力で、中国文化圏からの独立も目指そうと。
 
 
 こう考えると、今現在行われようとしていることがすべて見えます。
 
 
 しかし、この人類世界に日本という第三極は存在するのでしょうか?