びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

またまた票割れ選挙


 候補者の顔が出そろってきました。


 ただ、保守側が恥じも外聞もなく大同小異で知名度戦略で結集すれば、脱原発側は“小同大異の分裂”の意地の張り合い選挙の様相になりそうです。
 
 
 現実、当選できなくても得票が伸びれば勝利と考える“ごっこ党“がこの国の政局をおかしくしています。
 
 
 投票率がどんどん下がる要因でもあります。


 二大政党制には欠点もありますが、犯罪的大事故を経験してしまって、その重大性が未来にのしかかるような争点で物事を決する場合は、どうしても“国家的究極の選択”が必要なのであって、それは、かつての大戦前の開戦か非戦かの選択を思い出せば分かることです。
 
 
 民主社会では、立場の異なる国民各層の、異なった要求を汲み上げる様々な政策課題が提示されて、まるでスーパーに集まる客が、売り場ごとに生活スタイルが異なるのと同じで、求めるものが違って当然で、「原発」に興味ない人も結構いることでしょう。
 
 
 しかし、国政の立場にある者が、「原発を地方選で問うのはおかしい」のようなことを言ってしまいますが、この人達は、恐らく原発再稼働に揺れる地元自治体の意志や、沖縄名護市長選でも同じように無視することでしょう。
 
 
 この人たちの考え方は、儲からない売り場は早晩無くしてしまおうと考える経営者と同じです・・・。
 
 
 この人たちは縦割り官僚をうまく利用して、各論つぶしをするのが得意です。
 
 
 小さな声が実らない現実は、この仕組みにあります。
 
 
 この人たちが“原発の問題化”を恐れるのは、これが単に原発の問題なのではなくて、ここが突破されることで、その他の各論つぶしの仕組みを揺るがしてしまうからです。
 
 
 それが、スーパーの各売り場の問題でなく、店全体の経営方針を左右する問題であるからです。 
 
 
 世論調査の多くは、国民の原発に対する不安や疑問を示しています。その声が粉のように分散してしまって、まったくエネルギーを持っていません。
 
 
 3年前のあの時の気持ちに立ちかえって、粉を結集し、凝固させ、大きな質量でもって未来を決定する一方にならなければなりません。
 
 
 そのために、この選挙にかかわる者達には、国民が「これは重大な結果をもたらす選択だ」と理解できる争点確立が求められているのです。