びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

琉球王国独立

 現実味をおびてきました。
 
 
 あまりにも、日本及び日本国民の沖縄への仕打ちがヒドすぎます。 



 近年、高校の沖縄修学旅行が定着しました。
 
 
 沖縄で何を勉強するのでしょうか。
 
 
 平和学習=沖縄戦 歴史学習=首里城公園 自然学習=マリン体験 文化学習=カンカラ三線づくり お土産=国際通り 意欲的な先生が引率団にいると佐喜眞美術館から普天間基地見学 等々
 
 
 街のあちこちで“沖縄方言”に出会った生徒達は、異空間を感じ、たちまちその魅力に惹かれます。修学旅行がきっかけで移り住んだ人もいます。
 
 
 しかし、その沖縄の言葉を、「外国語」と正しく認識している日本人はどれほどいるのかと考えさせられます。
 
 
 かつて琉球王国であった異国沖縄は、海洋貿易でなりたっていたわけですが、そのネットワークの中では日本も中国も、そして朝鮮や東南アジアも、琉球との水平関係の中にありました。
 
 
 侵略がはじまったのは近世。
 
 
 琉球王国がたよる中国の明王朝衰退期に入っていました。
 
 
 東アジアの水平にくさびが打ち込まれ、秀吉の服属要求、そしてついに徳川の命により薩摩藩によって武力制圧され、王国の自主は剥奪されました。王国の形は存続されましたが、実質日本の属国となりました。
 
 
 明治政府の中央集権化の中で沖縄県が設置され、日本近代史の後半での日米戦唯一の、沖縄市民を巻き込んだ地上戦が行われ、それは即ち、本土決戦までの時間稼ぎの“捨て石作戦”となり、思えばそれは原爆開発に時間を与え、さらなる犠牲を連続させました。
 
 
 戦後、東西対立、そして今は対中戦略の中で再び犠牲、すなわち、再びの捨て石を連想させるような無慈悲な国際関係の中で、無能無力な政府に見捨てられ、行き先の定まらない海を漂っているような・・・。
 
 
 
 さて、中国は「沖縄も中国の一部」といっているようです。
 
 
 400年前まで遡れば、全くの嘘でもありません。そこは日本の一部でも中国の一部でもなかったのですから。
 
 
 そこが自主独立の王国であったならば、外交自主権も存在し、琉球にとってどの国とおつき合いすることが一番平和で安全か、自分達で考え得るということです。また、現在その王国が沖縄県と形を変えて日本国に平和と安全を託したと考えれば、他県と同様の平和と安全が保障されることが日本国への服属を是とする根拠となります。
 
 
 残念なことです・・・。
 
 
 今、墜落確率の高い航空兵器が市街地にある基地に配備され、ましてやその平和と安全を守るための兵隊に市民が襲われ、そして、ついには、自国民の平和と安全を回復すべき政府が全くの無策状態で政争に明け暮れている現状下では、琉球王国の次の選択肢は何であるのかと、それを「考える権利は保障されるべき」でしょう。
 
 
 琉球王朝尚氏の血を受け継ぐ末裔は今も健在です。
 
 
 薩長藩閥が勝手にこの国に王政復古を号令したことを考えれば、沖縄の民が自らの王政復活を叫ぶことも権利でしょう。甦った首里城に、沖縄独立の象徴と、立憲王制議会を開設することも、馬鹿げた話ではなくなります。
 
 
 400年前あった海洋貿易国が、東アジアの永世中立国として復活し、軍備を否定し、日中韓、そしてそこに米を加えた水平関係を甦らせます。
 
 
 沖縄の人々が、そんな構想を本気で考えたとき、それにもっとも親近感を感じる国家はどこなのでしょうか。
 
 
 その答えを考えてみることは、この地域の平和と安全を考える上での重要な考察であると思えます。