知的障害のない自閉症のことなのだそうです。
興味ないのでよく分かりません。
ただ、学校にいると「あの子はアスペだから・・・」みたいに、そういう会話が聞こえることがあります。
どうも、研修などで教員もその言葉を埋め込まれているので、何となく定着して便利に使っているのでは、と感じてます。
ここでアスペルガー症候群の復習をするつもりは勿論ありません。
全然興味ないので。
そもそも、私は起きている現象に対して、後付で変な名前を付けて分かったような顔をしている人々が嫌いなので。
逆に、起きている現象に対して、それがどうして起きたのかを考える人とは会話に意味を感じ、次の発想にもつながるので気持ちが動きます。
ただ、
アスペルガー症候群は、起こった犯罪にも結びつけて否定的に説明されるだけでなく、特異な能力を持つという意味で肯定的にも語られているので、その部分には注意したいと思うのです。
「学習偏差値の高い人にアスペルガーが多い」
これも、ある種肯定感のある響きなのでしょうか?
ただ、その偏差値が高いということの側面に、アスペルガーがくっつくことに、遡れば、学習偏差値を上げようとすると、アスペルガー症候群を増やしてしまうということなのかと、単純に思うのですが、これは間違いなのでしょうかね?
自問自答しても仕方がないので、
結局、やだけど少し読んでしまうと、そういうことではなさそうだと解説されているものが多いようですが、それでも今日、若者のアスペルガー症候群は増えているのだといわれているので、それでは、その原因は何なのかと考えてしまいます。
ただ、昔だと、あの人は“変人だね”といわれてしまった分類が、要するに今はアスペルガーなんでしょと、肯定でも否定でもない、“納得用語”として使われる、これが正しい答えだと、いうことに到達しました。
実は昨年の夏、教員免許更新講習を5日間も受けさせられたのですが、その講義の多くが、教育心理的なものが多く、正直ゲンナリで、比較的若い講師の先生方が次々と、私にいわせれば殆ど同じことを、違う言葉や論理展開で説明しているだけで、結論は、“異常ではありません”、“あなたの中にもあるんです”みたいなことで、つまりはそういった差別を解消するための真実を、「これは科学ですよ」ということで、差別、誤解は科学によって克服されるという、「ああ、方便なんだ」と理解できました。
すばらしい。
でも、こういう研究は有益なのでしょうか・・・?
新政府が組閣されると、新聞に閣僚の学歴も公表されます。
実に有名大学の名前が並びます。
いまや首相も偏差値世代です。
しかし、この偏差値世代の政治はどうなっているのでしょうか。
これもアスペルガー症候群で説明されてしまうのでしょうか。
※ハンス・アスペルガー(1906-1980)オーストリアの小児科医