びーすけ工房でひとやすみ

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戦時中でも「まんぷく」だった

 「まんぷく」は10月からはじまったNHK朝の連ドラのタイトルです。安藤サクラが主人公今井福子を演じています。
 
 はじまったばかりなので内容はこれからのお楽しみです。
 
 ドラマは昭和13年からスタート。
 
 西暦1938年です。
 
 明るい雰囲気ではじまり、主人公がホテルの交換手として就職し、さらに英語力を見込まれてフロント係となり、主人公に思いを寄せる男性も出現し、未来につながるストーリーを紡ぎ始めているところです。 
 現代に生きる私たちの感性や価値観ともそれほど違わない庶民生活が描かれています。

 
 さて、この1938年とはどういう年であったかといえば、近衛文麿というちょっと安倍晋三に似た感じの総理大臣の時代でした。
 
 実はこの時、日本と中国は戦争状態にありました。
 
 1931年に満州(現在の中国東北地方)で日本軍(関東軍)による軍事行動が開始されて、翌1932年にはその満州に「満州国」と命名された日本の傀儡(かいらい)国家が成立していました。

  世界は満州国を認めませんでしたから日本は「国際連盟」からも脱退してしまいました。
  
 近衛が首相となった1ヶ月後の1937年7月7日の盧溝橋(ろこうきょう)事件後、日中戦争は中国全土に拡大し、兵士達は泥沼の消耗戦を強いられ、中国の人々にも無慈悲極まりない苦しみを与えていたのです。
 
まんぷく」が普通の幸せを実感していた頃、日本はすでに酷い戦争をしていたのです。海の向こうの地獄のことを、内地の人間は何も感じずに疑問も持たず、無批判に日々を過ごしていました。

 この、隣人に対する無慈悲な10年の時を経て、
 
 そして、

 その後の僅か3年。遂に国民は食べるものが手に入らず、兵士は戦闘ではなく戦病死が主たる死因、310万人が死に、「太平洋戦争の真っ暗な経験」が、その部分の行為だけを取り出して戦争犯罪者を作り上げて断罪し、国民は犠牲者の衣をまとい、平和憲法を手にしました・・・。
 

 これは誤解なのでしょうか?
 
 戦後日本で成功した人たちの多くが、1930年代を知っていたのだから、どれだけ日本人が未来に対して無責任であったかも分かった筈です。
 なのに、あの1930年代に生きた人々は自分の責任を感じていないのです。
 

 平和憲法の意味すら語ろうとしません。
 
 未来に対する無責任?
 
 70年の時を経て、再び同じことが繰り返されているのも、その責任が精算されていないからなのです・・・。