びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

労働と金融

 
 
 難解な理屈と抽象的な数字にごまかされる経済の話ではありません。
 
 
 ギリシャ危機再燃。
 
 
 哲学のふるさとが、次の哲学を生むのかも知れない。
 
 
 そもそも、ギリシャ市民は、どうしてそういう選択になったのだろうかと考えました。
 
 
 最初は呆れましたが。
 
 
 ドイツ人の勤勉さは無視されてますね。
 
 
 そのドイツもおかしなことになりはじめてますが。
 
 
 借金で首がまわらなくなっている国の市民に選択肢なんてないでしょと思ってしまうのですが・・・。
 
 
 日本だったらどうなるでしょう。
 
 
 消費税率アップの議論が、スカイツリーと日食で吹っ飛んでますが、この国が回帰するところは国民の我慢ですから、ギリシャのようにはならない、という円高要因・・・?
 
 
 資本主義が格差を生むのは当然で、西洋文明では、富者はその行いによって義とされる、故にその先の分配も義とされると。
 
 
 金を生み、その余剰を貸し、借りる方もそれを悪いとは思わない。
 
 
 金融は、貸し手も借り手にも幸福をもたらす“魔法の器”で、これを神の祝福としたのが近代資本主義。
 
 
 社会主義はさらにその先を読んで、魔法が本当の祝福であるなら、最終的に幸福は金から離れると。
 
 
 ギリシャ人たちが、宗教の限界を超えて、逃げ道のなくなった人類の新しい哲学を生み出すのであれば、金によってではなく、何か違う行為によってもたらされる幸福を示せる時だと思います。
 
 
 行為とは理念と違って、行動そのものが精神を表す実践哲学の現実形のことで、まずはごく身近の人間関係の中で何ができるのかということでしょう。
 
 
 大震災以後の日本にも、一人ひとりの人格に、そのことが試されていると感じます・・・。