指定弁護士の会見をテレビニュースで見ました。
キーワードは「見逃せない事実誤認」
つまり、一審が「事実にもとづかない判決」を出したということか。
国民感情としては、政局や政界再編等々、“あの方々”の争いがしばらく続くんだなぁ、ということでしょうか。
私個人としては、国民生活にとって何の意味があるのかという表層的感情で見ています。
大体、この制度
弁護士が「検察官役」をするという。
そのことから分かることは、「“起訴権”を持つ検察官は、起訴されない」ということに対して、一般の感覚からして認めがたい処断を下した検察官に対して、不服を現実の行動で示せる制度だと理解できます。
今日、あらゆる権威に疑問が向けられて、情報の公開も少しずつ進む中で、検察制度にも民意のメスが入りはじめたということ。
無実の女性局長が検察官の不正義によって冤罪裁判に掛けられ、検察官の権威が揺らぎ、検察制度への不信もあるかも知れません。
小沢追及は、そのような趣旨に立った民意なのでしょうか。
この「小沢控訴」について、それは不信の民意に背中を押されて、3人の指定弁護士は決断した、と民意は感じている?
私にとっては、このことが今後の歴史に深い意味があるとはあまり思えず、そして、あの何故か元気のない感じの弁護士3人の表情を見ていると、何の高まりも感じないのです。
この国にとって、小沢一郎はどのような存在なのか。
時代変化の中で、この人物の存在が、過去と未来の政治のあり方を考える上で、国民の選択、判断を左右するモノサシの一つであるように思えます。
その最も重要なテーマが議論されず、不毛で、小手先だけの裁判劇では、何の意味もないと思うのですが・・・。