やはり来ましたね。
外務省の時は、「伏魔殿」でした。
さて、文科省は何とたとえられるのか楽しみです。
“真紀子人気”はどれほどなのでしょうか。
外相を更迭された際は、小泉内閣の支持率は3割も落ちたと書いてありましたが、確かに「伏魔殿闘争」に対しては国民の支持があった訳です。
今回の「3大学認可取り消し」も、実にいろいろな反応がありますが、まとめれば三通り。
①お騒がせ真紀子のパフォーマンス。大臣の資質ゼロ。これは賠償問題だ。
②理解出来る部分はあるが、タイミングが悪い。関係者が気の毒。
③よくやった。不透明な認可手順、利権絡みで認可される無用な大学が多すぎる。少子化の時代なのに、財政の無駄だ。
枝葉はあるでしょうが、民意はどのあたりにあるのでしょうか。
選挙対策で考えれば、対象となる大学の所在地に新潟5区が入っていないので、そこでは③を支持する人は多そうです。真紀子再選の可能性は高くなります。
民主党を批判している勢力は“問題の本質”には無関心で、当然①に固まります。
ということで、その他中立的立場の方々は②になる印象でしょうか。
人口に対する、日本の大学数が多いことは確かだと思いますが、問題は量よりもその質ではないかと思います。
2人に1人が大学進学する現状を考えると、日本の大学生は決して特別な存在ではなくなっているので、以前使われた“モラトリアム世代”のバージョンアップ版かも知れません。
理系学部などでも、高校の数学や物理をやり直しているような大学もありますし、最近は減少している教養課程なども同様です。
一方、中卒は勿論、高卒も就職の道が閉ざされた時代になってしまって、資格の取れる専門学校が大きな受け皿になっています。大学の足らない部分を専門学校が補完するような関係にもなっています。この意味するところは、中卒も高卒も高度な経済社会では使えない。さらに大卒も使えない。そこで予備校や専門学校という商売も成り立つ・・・。
この状況を整理すると、「教育改革」という言葉の根本的意味が見えてきます。
あまりに意味のない大学を増やすことより、小中高世代の子ども、若者をもっと丁寧にそして逞しく育てられる学校改革に資金を投入すべきでは。
きっと、子どもたちをめぐる様々な今日的問題も改善に向かうでしょう。
体の大きな子どもばかりつくっている現状の教育制度では、この先どうにもならなくなるでしょう。