今日は仕事でレポートを一つ書かされました。
内容についてはともかく、、、
人権教育・・・。
最近、学校ではこのテーマの仕事がかなり増えました。
自分が若かった頃、人権といえば憲法で保障された「基本的人権」という言葉でした。
この言葉の重さは、あらゆる理屈を超えて存在する普遍的な価値で、法もそれを侵すことはできないと・・・。
普遍的というのは、これは人間の存在価値の普遍性を通して、その人間が認識し得るあらゆる自然界の存在をも第一義的に尊ぶと、、私は拡大解釈して来ました。
さて、その人権。
こんな重たいことをブログでというのは、避けるべきか・・・。
とまぁ、ハッキリ言ってしまえば、この言葉、最近安売りしすぎてはいないでしょうか。
「人権とは、一体誰の人権なのか?」
そのような感覚の矮小化された人権ばかりが充満しているような。
学校も企業も地域社会も、役所の窓口でも、そして見ず知らずの人間がすれ違う公道でも・・・。
そして、“人権疲れ”している人が何と多いことか・・・。
人の命で考えてみましょう。
毎年3万人を超えてしまう“自死者”の人数、これを人権との問題として考えた場合、原因は一体何なのでしょう?
この人数は大きな戦争や、とてつもない天災で失われる人の命に等しい人数である訳で、その数が増えることはあっても、減る傾向に無い。
人権意識の啓発、命の教育、人に優しい街づくり、道徳教育、
昔の学校には無かったカテゴリーがどんどん増えて、年中、関連する学習会、研修会、研究会、協議会・・・、
なのに、どうして自死者は減らないのか。
私はいいたい。
まったく的はずれなことをやっているんだと。
そういうカテゴリー世界で気持ちよくしゃべっている先生方
あなた方はアイデンティティを持てて幸せそうだ
でも、その言葉には何の責任も持とうともしていませんね。
そう、「言葉上の人権」
お疲れさま、いつまでも口先の人権を言い続けて下さい。
ということで、2時間もかけて書かされたうっぷんばらしでした・・・。