びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

トラブルの出口

 毎日のように困ったことが起こります。


 ニュースに事欠かないということでしょうか。


 事故、不祥事、犯罪、災害、、、売れ行き不振、開発失敗、倒産、就職難、、、病気・・・。
 
 
 どうしたら良いか、考え込みます。感情も乱れます。
 
 
 50年以上生きて振り返ってみると、人は生まれ持った理性で、場面、場面を考えながら生活して来ています。ただ、理性を曇らせるキャラクターも同時に生得しているので、そのことでまたいろいろな人間ドラマが生じます。
 
 
 個々のシーンの中にはトラブルがあって、トラブルこそが人生ともいえます。
 
 
 ただ、残念ながら、一つのトラブルを解決しようとして、“そこだ”と思って的(まと)に向かおうとしても必ずしもうまく行く訳ではありません。
 
 
 ただし、「失敗は・・・」の言葉どおり、そのプロセスでは直接問題解決にはならなくても、別の発見やひらめきがあったりします。
 
 
 日常がそういう習慣性の中にある人であれば誰でも経験することです。
 
 
 自分の問題だけでなく、この世の中では多様な分野でみんなそんな感じでやってます。
 
 
 インターネットの時代になって、ネット情報に助けられることが増えました。その分書籍を買わなくなりましたが・・・。
 書籍の場合は、その筆者の構想がある関係上、納得することはあっても、「でも、同じことができるかなぁ」となってしまいます。 
 
 
 一方、インターネットという世界は、“ひらめき”という小さなパーツの宝庫です。
 
 
 そして、さらに思うのは、“ネットひらめき”に助けられることの増えたこの日常の中で、そのひらめきは「無名の誰かが生み出してくれたもの」だということです。
 
 
 今の時代、何か問題が起こると、「その責任」を問われるのを意識するあまり、自分や組織の中だけで解決することに固執したり、諦めてしまったり、失敗した情報を隠ぺいしたり、規則や人間関係などの他の要因に問題をすり替えたり・・・。
 
 
 どうでしょうか。社会全体にそんな空気ないでしょうか。
 
 
 一方、ネット情報は出どころがあいまいだったり、人の手を借りずに簡単に入手できたり、何よりも検索結果の量が膨大なので試行錯誤的に次々検証できたり、簡単に捨てたり、、、すこし粘っこくやれば、小さな問題ならだいたい解決に近づける。
 
 
 恥ずかしながら、ここに来て思うこと。
 
 
 素直になると、とても得をする。
 
 
 自分自身のつまらないコダワリをちょっと横に置いて、食わず嫌いをせずにいろいろな情報に視点を向けると、思考も感情も、意欲も急激に広がるのを感じます。
 
 
 今、感じていること。
 
 
 トラブルの解決は、トラブルを解決することではなくて、トラブルを解決するヒントを持っている人を探すこと。そして、そういうマネージメントに転換できる柔軟性を持たなければということです。