「各コースに室長以下、専任教師を配置・・・」
某大手学習塾のうたい文句です。
毎日、通ってくる子ども達は“専任教師”から受験勉強のサポートをうけて目標実現にがんばるわけです、、、が、
この「専任教師」の実体は殆どが大学生です。
内部で社員と呼ばれる数名の正規スタッフが学生バイトの人事管理を行います。
専任教師達は子どもの勉強を見てあげるだけでなく、保護者相談、進路指導なども受け持たされ、賃金の対象となる実労働時間以外にも“働かされます”
教員免許もない専任教師達は、自分が学生であることを明かすことを堅く禁じられています。
経営の立場からすれば、保護者に対して“真実の隠蔽”がばれることを恐れるのは当然です。全員がスーツ着用を義務づけられて、あたかも全員が正規雇用スタッフであるかのように偽装をします。
大学生がこの専任教師になるのは簡単です。一応の採用面接・テストがありますが、殆どが採用されます。どの世界も同じですが、一度だけの面接では何も分かりません。
とりあえず採用された専任教師は、“守秘義務”の確認など、簡単な研修の後に直ぐに仕事にかかります。
専任教師達は、2週間もすればその世界の実態を理解します。
そして、客観的な理解が出来なくても、“不適応状態”を発症すれば、自分から辞めていきます。
どんなバイトでも、辛抱強い学生は精神的にも肉体的にもその世界の中で、賃金以外にも何かを得ることはあります。
その何かについて、私はむしろ肯定的であります。
若者が何かに夢中になるのは自然なことで、それが社会的なことであれば、概ねおとな達は肯定するでしょう。
一応こどもを知育する塾の仕事をとおして、専任教師達が人間的に成長することも肯定できます。
また、その環境に適応できず、立ち去る者がいることも肯定できます。
しかし、“実”とみせかけた虚のシステムの中で、不当な労働環境を放置し、学生の若さと純粋さを食い物に利潤を上げる企業体質は許されるでしょうか。
経営者達は専任教師の確保が優先で、個々の学生の本来的学業のことや就職活動などにはまったく関心ありません。
実は、私自身が保護者として、かつて塾の専任教師と面談をしたことがあります。勿論彼が学生であることは知りませんでした。そして、まじめで気弱な雰囲気の青年のイメージが今でも印象として記憶にあります。
そのイメージと、今知る虚実を重ね合わせたとき、自分の中にその彼らの“労働力の質”がどのようなものであるのかが明瞭になります。
自分の子どものことについて語る、一人の父親の眼線の前に、どこか落ち着かない佇まいをみせる青年は、同じく経営者の前でも、何も言えず、その指示に従う他ない様子を見せているのでしょう。
実は、このことは社会全体で起きていることなのだと容易に想像できます。
「かれら専任教師達」が、自分の本心を叫ぶことができる時が来るとすれば、それは、遂に肉体がその機能を果たせなくなった時だけなのです・・・。