この話題がなかなか克服されません。
恐らく、、、事態はもっと悪くなるかも知れません。
誰も感じていませんが、いじめ対策と人権教育は、相互に背反なことをやっています。
現在、いじめ対策は警察の導入など、被害者から加害者への“懲罰指向”に性格を変えてきています。つまり、学校現場の啓発や事件に対応する生徒指導がまったく機能しない不満がそこにはあります。
犯罪にしてしまえば簡単です。学校も迷うことなく、仕事をスルーできます。
その代わり警察では、子どもをめぐるもめごと解決までもが恒常的な仕事になります。これは現実です。
この現状を生み出したのは、実は人権教育でした。
誰もが、人権教育は加害者になるかもしれない子どもたちに、そうならないための啓発として行われて来たと思っています。
現場にいると分かることですが、何か起きた時によくやる学年集会とか全校集会、時には保護者まで集めて・・・。
こういう場で訓導と啓発が行われます。
往々にして、こういう場所には、説教したい当の本人達がいない場合も多かったり、仮面をかぶって確信犯的に“やっている”連中には殆ど訓導は通用しません・・・。
では、どのような効果があるかといえば、
そこに集合している、従順でまじめで、争いを好まない気弱な若者達を、より一層控え目で、穏やかで、人を傷つけることを痛ましく思える、そして内向きな、若者を増やす効果があります。
多くの大人達が感じている今の若者像は、こうした学校での人権や道徳教育によってさらに深化されているのです。
同様に、それを実践する教員達も同様な人柄を求められ、決して人を傷つけず、寛容なこころで説得できる能力が期待されるのです。見本でなければなりません。
そういうことで、この反抗することのない穏やかな子どもたち、そして国民群は、その誰もが何時でもいじめの対象になるのです。あとは、運が良いか悪いかだけなのです。
正当防衛という忘れ去られた言葉があります。
採用試験の個人面接の折り、それはもう33年も前のことですが、
「生徒があなたに暴力を振るおうとしたら、あなたはどうしますか?」
という面接官(たぶんどこかの校長)の質問。
まだ体罰の問題がそれほど騒がれていなかった頃。
正直、私は返答に困りました。本音は腹の底にありましたが・・・。
すると面接官は、
「迷う必要はありません、やっちゃって下さい。正当防衛ですから。まぁ、本当にやらなくても、そういう態度を見せれば相手は躊躇しますから・・・」
真顔でした。
こんなことを言える教育関係者は今はいません。でなければ警察に頼ることはないでしょう・・・。
「人に優しい社会」
魔物が棲息するこの社会の中で、“やさしさ”とは何なのかを、いつも考えています。