びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

道徳教科化と憲法

 

  
 憲法読本とか、マンガ憲法とかもあります。
 
 
 道徳教科化を早急に導入するために、「道徳教員免許」はあきらめ、現有教員に研修させて、週1単位時間で実施するという話になりました。
 
 
 教科書は「心のノート」
 
 
 小中学校の“テキスト”に目をとおしてみました。ビデオ教材なども用意されています。
 
 
 そして、考えさせられます・・・。
 
  
 
 前の安倍政権で「教育基本法」が改正されました。
 
 
 道徳心を培う、情操と道徳心、健やかな身体、人間としての在り方、よりよく生きるため、
 
 
 などが目標となっています。
 
 
 小中学校では「道徳の時間」を設定し、高校では、「公民科」「特別活動」で行います。
 
 
 
 私は社会科の教員なので、30年以上地歴や政治経済、倫理などを担当してきましたが、道徳で要求されているようなことがらは、授業の中のあちらこちらで“触れざるを得ない”テーマとして実践してきました。
 
 
 そして、
 
 
 人のこころを考えるということにおいて、私自身が“基準理念”としたもの、今も変化ありませんが、「日本国憲法」であります。
 
 
 私は憲法学者ではありませんので、憲法論ではなく、つまり「憲法だから」なのではなくて、その理念を基準に考えてきたつもりです。
 
 
 この国の憲法は、あの惨たらしい敗戦直後の喪失感と、そして希望の中で生まれたものなので、当然、その思いが“崇高な理念”となって条文ずべてを照らしており、この理念を否定できる現代人は殆どいないと思います。
 
 
 日本国憲法=道徳の書であるのです。
 
 
「あなた自身が、誰がその行為を真似をしても真実となるように生きなさい」


 と、憲法は語りかけています。
 
 
 
 思うのですが、他の国が日本国憲法と同様の憲法を定めたとしたら、これは恥ずべきことであるでしょうか?
 
 
 現在、政治家達は改正規定である96条を改正しようと企図しています。
 
 
 厳重に施錠され、国民の信託によって護られている普遍的理念をこじ開けて、世俗的な精神と置き換えようとしているわけです。


 たとえば第9条はどう読むのでしょう。ある政治家などは、あの憲法では、他国に侵略されてもどうぞ殺してくださいといっているのと同じだ、と言っています。
 
 
 憲法は人の命の尊さを説いています。ですから、侵略者が自国民の命を脅かすことは、日本国憲法を破壊する行為を意味します。人命が脅かされるのを、黙って見ている、そんなバカな人間が何処にいますか。それを許さない組織が自衛隊である訳です。大災害において自衛官が必死に人命救助に身を挺するのは、憲法理念に基づくのであって、その対象が“侵略という現象”であれば、同様にたたかうのであります。
 
 
 憲法9条が非現実的であるといっている人は、日本国憲法のような基本的人権の確立した憲法が、どれだけの市民の流血、犠牲によって生み出されたのかを知らないのです。
 
 
 故に、靖国神社の英霊を悼むことと、憲法理念を護持することは同じ意味を持っているのです。それは、もっとも大切な誓いであります。
 
 
 誓いは、国民を励まし、勇気づけ、決心させるものでなければなりません。
 
 
 現在、「道徳教育」を推進しようとする方々が、同時に憲法を破壊しようとしている方々であることが、内実、この誓いとはまったく正反対な動機が背後にあることを感じさせてくれます。