ネットで「インドは世界最大の民主主義国」ということについての雑誌記事が紹介されてました。
現実のインドで暮らしてみると、民主主義という言葉と現実のギャップを目の当たりにするというようなこともあるとか・・・。
しかし、インドは第2次大戦後に独裁的な国家体制にならず、民主的選挙によって政治の形をつくってきたことに自負も持ち、同時に長い歴史の中で培った社会構造も包含しながら、今日経済大国としても存在感が増してきており、中国との関係が難しい日本にとっても極めて重要な〃パートナー〃であることが認識されてます。
「民主主義」という言葉を、それが西洋的な政治思想であると認めながら、しかし一方でアジアの中でその価値を認めて国家運営出来ている国々は、それぞれインドと同様に自国の歩んできた歴史の上に、〃民主主義を搭載〃してます。
日本も同様に・・・。
民主主義には二元性があり、一つはまず自分たちの指導者を立てるための選挙というシステムがあることで、それを憲法の中にルールとして定めて、選挙の正当性を国民全員が承認し従うという絶対的前提があります。
そして二つ目は、憲法の質、憲法が目指していることの「理念」が存在していることです。
重要なのはこの理念が「目的」であり目指すべき方向性を定めていて、選挙はその実現の「手段」(ツール)であるという理解です。
さて、今、憲法改正論議が、頼りない政治家たちの方向性の定まらない中で行われてます。
とても残念で不安になる現状です。
そもそも、自衛隊をめぐる憲法第9条のこと、憲法改正をめぐる96条等々、ざっと読んでみても、現憲法には崇高な理念にもとづいて書かれた部分が顕著です。
150年も前、明治初年に「自由民権運動」が起こり、土佐民権派などが公にした民定憲法の理想が蘇ったような内容です。
ただしかし、権力者の都合によって永く眠らされていたその理念・・・
そして・・・、愚かなその後の支配者の間違いによって、
80年前の絶望的敗北の現実の中で、敗者だけでなく勝者の側も未来永劫の平和を願う思いの中で作り上げた、どこの国も持ちえなかった憲法を日本は示され、そしてそれを手にしました・・・。
私たち日本人は、自覚のありなしに関係なく、この理念の上で立ち上がり、その尊さも認めながら、今日を築き上げてきました。
それはまだ完結していません・・・
まだ1世紀もたたない時間の中で、理念の絶対性を感じつつも、まだまだ完全に自分のものには出来ていない。
他の国々が戦後民主主義獲得の経過の中で、自国の歴史の中で形成してきたすべてと民主主義を融合させる努力をし、日本も同様に2千年の歴史・文化の上に民主主義を育てている真っ最中といえます!
世界全体から見ても、「日本国憲法」の根本理念は、誰も否定できません。
その憲法を所有している日本人が、なぜその理念の根幹を否定するようなことができるでしょうか!?
そのことを目的とせず、憲法改正を目的化している現在の政情は、とても恥ずかしく空しい事態であると言わざるを得ません・・・。