びーすけ工房でひとやすみ

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9条のオプション

 日本国憲法に時代が追いついてきました。
 
 
 日本共産党もあんなことを言い出しましたし・・・。
 
 
 現憲法は理想主義的、平和ボケ、押し付け、とかとか
 
 右とか左とか、立場は違っても、憲法の位置づけは戦後70年過ぎても、決着つかないまま今日まで来て、
 
 
 そして、今、核抑止力もあやしくなるような狂人の出現で、
 
 本当の意味での現実主義が生まれようとしてます。
 
 
 幾ら平和憲法でも、殺されるのをただ待ってはいられないでしょう、、、という現実
 
 いや、待ってられるというような悟り、厭世主義、終末願望・・・、もありか?
 
 
 しかし、それ以前に、破壊し殺し踏みつぶす
 
 そんな″人災″を放置できる現実主義など存在しないので、
 
 
 ″本質的″に9条平和主義には「オプション」がセットされていると気づかされるのです。
 
  
 憲法25条に規定する国民の生存権は、国民と国家の契約として確立していて、生命を脅かす様々な要因を政府は取り除かなければなりません。
 
 これは、国民の自衛権というオプションも″想定″しているとも云え、これから予想される世界情勢に対して日本がどのような態度を取るのかの、重要な要点になります。
 

 現在、ロシアの無謀な行いに対して、NATOは直接的軍事行動は起こしていません。広範な経済制裁を展開してロシアを追い詰めようとしています。
 
 直接的戦闘行為を伴わない反撃であることで、日本もこの″集団的行動″に歩調を合わせることが出来てます。
 
 ロシアからは敵対的非友好国に″認定″されたようですが、、、
 
 「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
 
 憲法で平和主義を掲げる日本の正当な行動である訳です。
 
 そして、この憲法を日本に授けた、そのアメリカが現在そういう行動に止まっていることは、
 
 日本国憲法制定に大きくかかわったアメリカが、そのアメリカ自身が、ようやく日本国憲法に追い付いてきたといえます。
 
 そして、ウクライナに対する軍事支援は、″破壊され殺され、踏みつぶされている″状況に対する救急・緊急避難行動としてやむなく取らざるを得ないと、
 
 そう理解せざるを得ないと、、、それが現在の日本の平和主義の現実なのだろうと思います。
 
 21世紀の今日、″いわゆる先進国″は、軍事力は持ちつつも、トップテンに入る自衛力を持つ日本も、そのような現実主義に立脚しているのであって、
 
 このロシアの行っている極めて″古典的″な所業に対しては、この現実主義を徹底的につらぬく他はありません。
 
 経済制裁による経済的混乱は、コロナ禍にある人々の暮らしにさらなる暗雲を広げていますが、戦闘ではないこの忍耐行動が、″国際紛争を解決する手段として″とり得る、たたかいであると信じるより他はありません。
 
 このことで、やがて、狂人が支配するロシア国民の生活、生存権が脅かされる時、やっと、その国民の信頼が独裁者から離反していくのだろうと・・・
 
 
 これらのことは、武力でなく、経済力で相手国に常に影響力を持たなければならないという条件が必要で、戦後日本が経済大国に成長したことが最大の防衛力であったのだと気づかなければなりません。
 
 それを為しえたのは、多くの先輩方、人材に他なりません。
 気がかりなのは、その人材を育てるための教育予算が防衛予算に大きく抜かれ、そして憲法改正論議も古典的な思考に回帰しようとする人々の声ばかりが大きく・・・
 
 
 近未来、自分がいなくなったこの列島の風景が現在のウクライナのようになるのは残念です。
 
 77年前の焼け野原となったあの風景から日本人は何を学んだのでしょうか?