びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

核抑止力は幻想だった

 はっきりしました。
 
「核抑止力」が、逆に通常兵器使用を促す結果となります。

 ウクライナ危機をめぐって、残虐なプーチンの侵略行為に対して、核戦争勃発への危険性から西側は直接的軍事行動は起こせません。
 
 プーチンが親ロシア勢力を守るためと称して軍事侵略したのであれば、反対に、人道的見地から、罪のないウクライナ市民保護のための平和維持活動は、″理念的″には可能だと思います。
 
 条約や協定等々の建て前、戦闘への躊躇もあって当然ですが、敵をあざ笑うかのようなプーチンに対する実力行使による反撃!・・・・
 
 と、ここまで書いて、平和憲法をもつ日本人としては、その先が書けません・・・

 
 どうしたらよいのか、、、

 
 人道支援ということで、支援物資、武器供与等々も実行されてはいますが、張本人プーチンを攻撃する作戦は実行されていないようです・・・。
 
 
 プーチンは進攻当初、キーウ陥落、ゼレンスキー大統領を捕らえて罪を着せ、傀儡政権をたてるつもりだったようですが、これは逆も成り立つことで、イラクフセインリビアカダフィがそうであったように、プーチンは侵略の首謀者としてターゲットになり得るわけです・・・。

 

 しかし、それはいまのところない

 その理由はなにか?
 
 つまり、プーチンを生かすことは、何か別の意味があるのかと・・・?
 
 
 ともかく、核をチラつかせて脅迫し、無数の民の殺害行為を実行している現実は、
 
 ずる賢いヤツには、「核」など、なんの抑止力にもならないと証明されました。
 
 この1カ月間、世界の人々が許しがたい感情を持ちながらも、手も足も出ない状態に置かれているのは、脅迫して侵略をするという、プーチン流の、「核の時代 第2ステージ」の始まりの宣言のようです。
 
 世界は唯一の手段として、大規模な経済制裁で責めてますが、その我慢比べが、ウクライナ侵略と天秤にかかっているのかといえば、、、疑問に思えます。
 
 前にも触れたように、これは異常なまでの歴史的怨念が背後にあって、その憎しみは、
 
 かつて″欲しがりません勝つまでは!、一億火の玉、玉砕″を国民に叫ばせた日本と同じで、国家的心中覚悟の戦争なのではないかとも思ってしまいます。
 
 忘れてはならないのは、かつて日本の戦争で、ソビエト(ロシア)は北海道の一部を日本から奪い、アメリカは核兵器を使用しました。
 
 今、目の前にある現実は、核には戦争防止効果はなく、そして究極的に核戦争は起こる、、、プーチンゆえに、
 
 広島、長崎は、あの頃の頑迷で愚かな日本の支配構造ゆえに閃光を浴びて、幾十万の民を殺戮するに至りました。当時、逆に日本が核兵器を開発していたならば、必ず使っただろうと断言できます・・・。