NHKの女性キャスターが使った言葉に驚きました。
「早期退職騒動」にかかわって。
昨年、このブログで「教師聖職論」を書きました。
「徹底した管理主義のおかげで、教員は立派な労働者になりました。みんな時計の針を気にするようになりました。」と書きました。
実際、24時間子どものこと考えなくてもよくなりました。
放課後の部活指導が無賃労働であることを今だに知らない人もいます。
半年たってないと思うのですが、皮肉なことに、「教師聖職論」の終焉を実感する出来事が続いてます。
大阪。「体罰教師」の終焉。
この人は典型的な聖職者でした。
みんな「夜回り先生」とか「ヤンキー先生」とかが聖職者だと思っているかも知れませんが、それは一面でありますし、本当に聖職者かどうかも分かりません。
この競争主義社会で、それに耐えうる若者を育てられる先生は、あの大阪の先生のような人です。
うそではありません。私の身近にも何人もいました。
そして、私はその人達を否定していません。今も。
かくいう私自身が、中高生だった頃、細かいのは忘れたくらいぶたれてました。
アルジェリアの大地に散った企業戦士の人達も、きっと、そういう学校時代に育った人達です。
大阪の先生の“助命嘆願”の動きもあります。
彼を聖職者だと思っているからです。
今、人間は病を持った生き物だと思っている“人道主義”とマスコミが、こういう先生の存在を認めません。
元気のない子どもは病気にされてしまいます。元気過ぎる子も病気にされてしまいます。
もしかしたら、今だったら、中高生だった自分も病気にされていたかも知れない。
防具が保護していないところを頻繁に打ち込んで来る剣道顧問の先生に耐えかねて、勇気をふりしぼって股間めがけて突きをくらわせてもんどり打たせた、あの時が人生のはじまりだったかも知れません。
しかたないでしょう。
今では、
私自身が、小さな内なる情熱を表出できない時代になりました。
そういう時代なんです。
なので、管理されて普通の勤労者にされてしまった教員達が、“リストラ誘導”に従って早期退職したことを、「教師聖職論」を持ち出して否定することは論理破綻しているということなのです。