びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

道徳教育、教科化


 このことについては、政治家の認識が一番困ったものです。


 かつて定時制高校では、入学の条件として、昼間は就業していることがありました。
 
 
 5時半までには学校に行かねばならないので、勤務先の理解がないと通えませんでした。
 
 
 学校と社会が協同して若者の教育を行っていた訳です。
 
 
 昔の定時制の卒業式は感動的なものでした。
 
 
 現在、昼間正雇用で働いている定時制の生徒はほとんどいません。就業していても、派遣やアルバイトです。気が付くと勤め先を変えてます。勤め先を変えるごとに、その生徒の生活態度や生活習慣に変化が起きます。
 
 
 勤め先のおとな達には、そんなことはまったく関心のないことでしょう。
 
 
 往時の学校の就職指導は、生徒指導も兼ねていて、就職先で恥ずかしくないように学校でいろいろと指導をし、腰を落ち着けられる社会人としての成長を促すことを理念としていました。
 
 
 生徒の面倒を見てくれる社長さんと進路担当者の間にも、若者の成長を介しての精神的な結びつきも感じられました。
 
 
“日本人は村社会”といわれてきましたが、教育も「郷に入っては郷に従え」的に、人として生きる道、人倫はその小さな空間の中で形成されました。
 
 
 自分を守ってくれる共同体への「帰属意識」が、同時に個人の道徳の基盤であったのです。
 

 
“再生、再生”という言葉が耳につきますが、道徳教科化も、その再生の一つなのでしょうか?


 であるならば、その基盤を再生させるために、まず経済界を厳しく訓導し、働く若者を長く育てられる労働環境を構築することをしなければなりません。
 
 
 ことの実際は、低賃金の効率性を求めるがために、日本的労働市場を崩壊させてしまったことこそが道徳破壊の原因であったのですから・・・。