びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

それでも本屋は無くならない

 9月9日の続編です。
 
 北海道南部震災で思い知らされました。
 
 電気が止まると何も出来なくなる情報社会。
 
 太陽光パネルで自家発電しているお宅は昼間ケータイの充電ができたようですが。
 
 IT社会に移行してから、誰でもテキスト、画像情報を自由に扱えて、これまで出版という形で供給されてきた商品も電磁的取引が一般化してしまいました。
 
 マスメディアに個人発信が加わり、みんな生意気になりました。
 
 "学校文化"も太刀打ちできなくなって、今になってタブレットを教室に配ろうとしてます。
 
 笑います・・・。
 
 ただし、
 
 それらは、すべて"手段"であることに気が付きます。
 
 私たちは"手段化された文化"に振り回されて、何が目的なのか分からなくなってしまいました。
 
 そもそも、"人間とは何か"、みたいな哲学的なテーマも、人間社会の中での人間自身の価値の低下によって、あまり意味がなくなってしまいました。
 
 巨大に手段化した経済の仕組みが、死ぬまで誰かのために働かせられる人間存在を普遍化させてしまったので、その枠の外にいる者、取り残されるものが惨めな扱いを受けています。
 
 手段には目的的方向性が必要なのですが、多くの人々は自分で目的を見つけることはできず、僅かな検索語だけにたよって、膨大な情報の中の極々限られた事柄だけに縛られて生きることを選択してしまっています・・・。
 
 殆どの情報は使い捨て状態です。
 
 数日前に本屋さんに並ぶ書籍の多くが、そんな現状を紙にしただけのものであることを書いたのですが、
 
 一方で書店には過去から現在、人類が積み上げてきた様々な思考・思索が集められ、書店という小さな空間の中で"自由に探し回る"ことが可能で、それは検索ではなく"出会い"であることに気が付きます。
 
 なので、やはり・・・、本物の本屋は存在し続けなければならないと思えるのです。