びーすけ工房でひとやすみ

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大化の改新

 昨日の話のつづきではありません。古代史の謎です。
 
 みなさんご存知のとおり、大化の改新中大兄皇子(天智天皇)が中臣鎌足と謀って″朝敵″蘇我一族を直接滅亡させた出来事です。教科書ではクーデターとは扱っておらず、″天皇政治の復権″的な意味合いで説明されています。
 
 この辺の事情は日本最古の歴史書日本書紀」に記述されていますが、同時期の出土物との対比において考古学的立場からは疑問も出されています。(詳しくは検索して下さい)
 
 忠臣鎌足は、天智天皇最期に「藤原」の姓を賜り、以後朝廷政治を支配する″官僚家″として栄え、天皇制を支える歴史のバックボーンとなります。
 
 武士の時代になっても、武士の天下人は存在しても、その権威の裏付けに天皇は無くてはならない存在として、ある意味それは現在も受け継がれています。
 
 昨日からの″令和騒ぎ″をみても、これは国民的支持を得ている日本社会の″歴史的システム″と理解できます。
 
 
 さて、″その″歴史的意味はともかく、今日左翼的な人々が″これ″を否定的に感じているということがあります。
 
 何故でしょうか?
 
 そのことについて、右翼的な人々以外でも、″普通の人々″はそういう左翼的な見方に嫌悪的になる傾向があります。
 
 何故でしょうか?
 
 いっそ、左翼的な人々もこの″歴史的な意味を納得″して、そして受け入れ、その基礎の上に政論を構築したらどうでしょう。そうすることで、″意味のない誤解″は解けて、政権の選択肢として認知されるようになるのではないかと思うのですが・・・。

 
 少し話を戻して、大化の改新は「日本書紀」記載ですが、この日本書紀は朝廷の公式歴史書であり、つまり天皇存在の正当性を立証するための最高権威的書物ですが、故に正当性を否定するような事実関係は書かれない必然性が存在しています。すべて漢文で書かれていて、一般に文字が普及していない時代では否定的書物を書ける社会的インフラは無かったともいえます。
 
 
 故に天皇にとって都合の悪いことなど書くことはありえません。
 
 是非はともかく、日本の古代政治はそうやって構築され、はじめて中国文明と対峙できる国家がスタートした・・・と解釈できる。
 
 
 左翼的な人々は今後どうしたいのでしょうか?
 
 というか、左翼という言葉が日本では社会主義とか共産主義、さらには自由主義とか市民主義も含めて反権力的な人々とレッテルを張られてしまうのですが、、、、
 
 いっそ、″この″日本の歴史的流れを認めてしまって、というより野党でも認めている人々は結構いるようですが、どうも内向きな日本人の特質を考えると、どっぷりそうしないと、どうも支持されない気配がいよいよ本格的になっている現在・・・
 
 古代史の謎は謎で受け入れて、ともかく思案のしどころなのかなぁとも、思ってしまいます・・・。

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蘇我入鹿が討たれる場面(多武峯縁起絵巻より