びーすけ工房でひとやすみ

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責任転嫁

 民放コメンテーターのT氏がよく政権批判をする際に持ち出す「大本営発表」というのがあります。
 
 75年前に敗北で終わった大戦争の責任、いたずらに戦争を長引かせ、国民に多大な困難と犠牲を強いた張本人達。
 
 その間違いと同じような間違いを現政権もやってしまっているのではという比喩で時々出てきます。
 
 最近では、コロナ問題への政府対応、経済(食うためにはGOTOやむなし・・・)と感染防止の並行で行くべし、、が、結局感染広げて問題解決を遅らせ、結局は経済への打撃も計り知れなくなる・・・ そして、国民もこの話に乗ってしまって、ここ数日の報道どおり、感染の急拡大を招いてしまっている。
 
 
 その"大本営の話"ですが、歴史をさかのぼると、1930年代は、「満蒙問題」があって、現在の中国東北部、旧満州地域への利権拡大が「日本の生命線」と喧伝されて、現地軍の独断で満州事変が勃発し、その後、敗戦までの15年もの長期間、戦時体制になってしまった日本・・・
 
 満州事変後、まさに"満州特需"のようなことで景気が上向きになり、軍部や経済界も新勢力が台頭して、国民意識もひっぱられ、頭の上から爆弾が降るようになるまで、多く一般国民はこの流れを支持してました・・・。
 
 
 しかし、結局は、日本だけでも300万人を超える犠牲者を出し、75年たっても解決できない問題を後遺症のように残し・・・
 
 つまりT氏が言わんとしていることは、戦争と感染の違いはあれど、同じ過ちを犯してほしくない、、、ということなのですが、


 75年前も、現代も、国民の本質的意識は何も変わっていないと思うのは私だけでしょうか?
 
 ただし、これは日本だけでなく、つまりは人間の本質のことでもあるので、、、
 
 もはや日本一国で解決できる問題ではありません。
 
 環境問題なども同じ土俵の上に乗ってます・・・。
 
 それなのに、それぞれの問題に誰が責任を負っているのかという議論になると、、、
 
 国民は現実逃避・・・(私も・・・)
 

 ただし、よろしくないのは、、政治指導者たちまでも、責任転嫁できそうもないとなると現実逃避をしていること・・・
 
 
 逃げるのが大得意
 
 
 なので、GOTOなどという餌で釣るような姑息な政策に騙されず、"巣ごもり"せざるを得ない時は、国民はかつては無かった新しい手段を駆使して、情報交換し、"それぞれの現実の立場を超え"て、特定業界だけが不幸に見舞われないように、一人ひとりの役割が有機的に存立できるような社会を構築するために、世論形成の主役に、まさに国民主権の主役を志向すべきでしょう。
 
 
 責任転嫁を許さない現実逃避とはこのことだと思います。
 
 
 意味不明でしょうか?
 
 現実逃避という現実からの逃避ということです
 
 難しいことですが・・・。