″意識の壁″を考えました。
キーワードは、やはり「情報関係社会」です。
ところで、
「自閉症スペクトラム」という、人間どうしの関係障害の原因説明をするために、その個別の障がいを概念化した用語がありますが、これは所謂発達障害を説明するために造語されました。
昔であれば、他人と折り合いが悪く、我が道を行く″変わり者″みたいに、一風変わった個性的存在、時に困り者、一方、″あの人ただ者じゃないよ″のような、一つのことに秀でた才能がある存在とか・・・
何れにしても、管理教育から管理社会、情報統制等々、人と人の関係がシステム化されてきてしまって、往々にして存在する″特殊な個性″の扱いも、何か定義付けが必要になったので、こんな言葉が造語されて、、、、
そういう子どもを持って困っていた親なども、意味のない躾から解放されて、「ああ、そうだったのか」
これは~自閉症スペクトラム~だったんだ、、、
と、納得できて、そして、それは″差別するようなものではない″と認知されて、、、
なのですが、、、、
それでも、私は何か違和感を覚えます。
だいたい、″健常者″と自閉症スペクトラムの間には明確な境界は無く、ある意味″共存的特殊性″のような説明も訊いたこともありますが、
それは、すべての人間が″できそこない″だからであると理解できます。これは刺激的な言い方ですが、
すべての生命は変異している、、、と云えばぼやけますか。
つまり、自然界は未完成であるということ
コロナで困っている現状もそれを示してます。
「生産関係社会」から「情報関係社会」への変化は、進化のように思えますが、それは進化ではなくて″変異″であることが今、分かってきました。
私自身、Windows95が登場する少し前にパソコンをはじめて、″これは、スゴイことになるな″と、未来学者アルビン・トフラーの「第三の波」が現実になると、自分もそれを現場で実現したいと夢中になってしまって・・・、・・・。
それから10数年、、、
これは″本質の進化″なのではなくて、変異なのだと、気付いたわけです。
人間どうしを疎外していたもの、その障害となっていた壁を、もしかしたら「情報関係性の進化」が突破するのではないかと・・・
しかしこれは、海の中に活路を見いだして飛ばなくなったペンギンのようなことで、生きるため常に移動していた人間が、その場所を動かないままあらゆる情報を手に入れられるようになって、何でも分かった気になって、そして、それに満足できて・・・
しかし、実際には本質と本質を隔てる壁の向こう側へ″飛んでいこう″という意志も行動能力も失って、個々人の間に存在する壁はますます高峻になってしまい・・・
電磁波や超音波で脳みその中まで見えるようになりましたが、目に見えない人の意識の壁は、ますます分厚くなって、殆ど何も見えなくなりつつあります。