びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

木工旋盤物語(9)陳列棚

 徐々に増える"作品"の整理に困り、「収納場所」として作りました。野地板用の杉材を使用しました(結構反ります)
 
 支柱の固定で長押にキズを付けたくないので、特殊なフックをアルミ材で作って、"掛けるように"しました。
 
 一時保管的に考えましたが、出来てみると結構"和"の感じがして、家具づくりではやたらニス加工などしてきましたが、こういうのもいいなぁと自己満足してます。

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そこそこ収納できます

 しかし・・・。
 
 "陳列"してみて・・・
 
 自分の技量のなさを感じつつ、人に見せるでもなく、とにかく"つくりたい"という感情だけで、気持ちの向くままに、思いついたものをつくる・・・
 
 勿論、需要もないので商品にもならず、、、
 
 世の中、いろいろな芸術品にスゴイ値段がついたりしますが、その作者はお金が欲しくて作品づくりをしているのでしょうか、それとも、"そういう需要"はあとからの結果であって、本当の目的はどこか他のところにある・・・?
 
 一方、購入する人は、"どういう欲"でそれを手に入れようとするのでしょうか?
 
 以前、知人から、モノ作りするなら、一流品をみなければダメだ的なことを言われました。
 
 そうだよな~  と納得してました。
 
 でも、今思うと、それは一流という商品=経済価値をみることではなくて、その作品の後ろに立っている作者の精神性をみることなのかな、、、、と
 
 
 ただ、その意識で"一流品"をみようとすると、形が見えるのは当然ですが、"作者の魂"のようなものをみることはあまりありません。
 
 
 何故だろうか?
 
 
 自分が未熟
 
 
 世の中の価値観が間違っている
 
 
 もともと、そんな価値は存在しない・・・

 

 さて、、、

 

 ということで、陳列して並べてみると、自分の作品からも、自分のことであるのに、どんな心性的なものも感じられません。
 
 
 唯一、その作品がまだ材料であったとき、自然状態から取り出されて乾いた木材のかたまりであった時のことが思い出されます。
 
 
 思い出のようなものですか・・・
 
 
 やはり、何ものも自然から出て、自然に帰るのだなぁと・・・。