びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

あってはならない酷似


 北朝鮮のことです。
 
 
アメリカが北朝鮮の体制を否定しないと約束するなら、核はやらない・・・」


 という理屈はどこからくるのでしょうか?
 
 
 確かに「朝鮮戦争」は停戦状態のままであるので、南北の戦争は終わっておらず、きっかけさえあれば再び戦闘状態にもどり、結果として敗者の体制は否定される。
 
 
 戦後のアメリカが世界に対して振る舞ってきた態度からして、敵対国としては最大の懸念ということです。
 
 
 問題は、今や核保有国になった北朝鮮が、アメリカを含む世界に対して何を望むのか、ということでしょうか。
 
 
 
 1世紀前、世界の「一等国」に仲間入りした国がありました。
 
 
 朝鮮半島を植民地化した日本です。
 
 
 寒くなると重ね着をするように、その朝鮮保護のために、さらに満州中国東北部)への侵略がやがて始まり、「満蒙は日本の生命線」というキャッチフレーズを、国民も支持しました。
 
 
 一等国になったということは、世界大戦の主役にもなったということで、つまりは、植民地を持つ国、帝国主義国家は、そのレベルの違いはあっても、当事者としての“責任”でがんじがらめとなり、植民地の維持確保のためのあらゆる手段を講じ、“最終戦争”へと向かいました。
 
 
 そして皮肉なことに、この戦争の最終決着が戦後体制のキーワードとなる“核兵器の最初で最後の使用”によってであったのです。
 
 
 
 今日、かつての帝国主義国家は、一部を除きその権益は該当地域の国家独立という形で解放し、以後は自由主義経済の手法によってその影響下にとどめようとしています。
 
 
 かつての意味での一等国は消滅しました。
 
 
 それでは、今「一等国」という概念を再定義しようとすると、それはどのような国なのでしょう?
 
 
 
核兵器保有する国」


 アメリカ ロシア イギリス フランス 中国 インド パキスタン 北朝鮮・・・
 
 
 今や外から侵略されないだろうと思われる国々の名前が並びます。
 
 
 経済大国であることと、核兵器保有することはイコールではなく、核兵器を持つことは、弱小国であっても大きな力を持ちうるという論理なのです。
 
 
 1世紀前、果たして当時の日本国民の生活水準からいって、日本は世界の一等国といえるまでになっていたのでしょうか。
 
 
 そう思う人はいません。
 
 
 軍事力だけが突出した“いびつな一等国”であった訳です。
 
 
 この国がその後たどった道は記憶の中にあります。
 
 
 一等国足り得ない国が「一等国」となったことは、それは実にマズイことであると世界は再認識しなければなりません。