普段、あまり考えませんよね・・・。
自然界も、実は経済活動の一部だと思っています。
需要と供給というやつです。
木の実が動物たちのエサになります。植物が動物たちに供給しています。
動物は食した実の種を運んだり、消化して糞などを地上に落とします。動物が植物たちに供給しています。そして、絶えず双方に需要があります・・・。
あらゆる物質が相互関係の中で供給し合ってます。おそらく一部の例外を除いて。
人間はその"一部例外"でしょうか。人間の需要によって自然界から供給され、消費された残滓が廃棄物となりますが、この廃棄物の内、自然界に寄与するものはあるのでしょうか?
・・・どうやらありません・・・
人間は「利益」がなければ活動しません。これは自然のためではなく人間、いや自分の為でなければ為しません・・・
この説明に説明の必要はないでしょう
言葉という欺瞞は、自然に対して人間を正当化するだけのものですから。
https://www.youtube.com/watch?v=ULTIVG5fz_A
https://www.youtube.com/watch?v=DRgs8_a22VI
https://www.youtube.com/watch?v=rKzHH646xXw
https://www.youtube.com/watch?v=16PG_1T3Q9k
今、人類登場以前から存在している原生林は、様々な樹木を人間に供給しています。その内、特に利益となる樹種は、他の樹木を伐採してでも増やします。
しかし、これは自然に対する供給活動ではなく、時代が替わって利益が出なくなると、放置されたりします。
https://www.youtube.com/watch?v=zogfOfSBfF4
最近、毎年繰り返される気象災害の原因を巡って、人間の行いがエスカレートし異常化している事態に警鐘が鳴らされています!
でも、人類全体規模の巨大な経済システムに歯向かえる、つまりはブレーキを一人ひとりの人間は持っていません。
過去に一度も自然に対して供給をした経験がないから、というか、人間には他の動植物のような働きがプログラムされていないのでしょう。
廃棄されてしまいそうな木材を手に取り、今それを旋盤に掛けて何らかの意志を作品にとどめおこうとしている自分に、
妄想か、錯覚かも知れませんが、自然は"非物質的"な何かを供給してくれているような気がします。
なのに、それを取り出して見せて、人類がどうするべきかを言葉にできる自分は存在していません・・・。