先日、一年ぶりに動物園に行きました。小規模ではありますが、コアラ、カンガルー、ワラビー、クウォッカ、ワライカワセミなどオセアニアの動物が沢山いて、さらに訪問者と動物達の距離が近く、撫でることもできたりします。
アップダウンのある丘陵地で緑に囲まれていて、ゆっくり一日過ごせます。秋の平日、好天、小学校低学年遠足の大集団と混ざってしまい、これまた賑やかながら可愛い人間観察にもなってしまいました。
残念なのは、とはいえ飛行機好きの私には興味ある、頭上を行き交う入間基地の航空機のエンジン音は、騒音といえば騒音です・・・
ここの動物達は穏やかです。
人間慣れしているといえばそれまでですが、日ごろ動物に愛情を注ぐ飼育員の人たちの営みを感じます。
山などで出会う野生動物は人間を避けます。鉢合わせでもしようものなら人間を襲う獣もいます。しかし、どの生物も自然界の中で懸命に生き、種を残すことに一生を捧げてます。
ここ、動物園では、
慣らされた生き物とはいえ、ここで動物達に触れると、瞬間、自分の生命も実感できます。
人間である自分もこのものたちと同じだと
私たちは「人間として~・・・」を被せられて生息してます。
人間として恥ずかしくない生き方
人間としてあるまじき行動
人間としての誇り
人間としての在り方
・・・・・・・
言葉に終わりがないくらい、人間として生きます
でも、終わりはあります。生命ですから・・・。
動物達に触れていると、生命のいとしさと哀しさがこみ上げます
動物達を見ていると、どうして私たち人間はこのような生き物なのかと、思ってしまいます。存在ということの意味に興味を持ってしまった、哲学する生き物です。
生命を保持しようとする防衛本能は人間を含むすべての生命共通ですが、人間に関しては、″防衛を超えて″残虐な性質が顕著です。
一方で、そんな本能を抑え込み、封じ込めようとする「理性」も性質の中にあります。
本能と理性
つまり、この2つの″異なる性質″を使い分けるのが人間という生命
人生はそのコントロールの連続
「理性による人間としての選択」に尽きます・・・。