興ざめです。
ネット上では、五輪に行ってほしいランナー投票では8割以上の支持で、ダントツでしたね。
ここでも、いつもとまったく同じ力学を感じます。
ジジイ世代の。
選考基準だの、の問題に興味はありません。それだけが彼らが気持ち良くなれる場なので、仕方ありません。
そもそも、最初からメダルは期待できないような発言をしているような現状を考えれば、残っているのは話題性だけなのに。
これでオリンピック最終日の視聴率は下がります。
川内への好き嫌いは別として、一般の暮らしをしている人間が、「自分のこと」としてこれだけの夢を追えるということに意味と、楽しみがあるのであって、日の丸どうこうというのは社交辞令に過ぎません。
いや、むしろ川内のような一般人が職業選手と実力的に遜色ない記録をひっさげて世界の舞台に立つということは、それだけ日本社会の“市民力”を示すことになるのであって、五輪というものが、もはや国家的プロジェクトではないという、この国の成長の証だと思うのですが。
ただ、しかし、川内の生活を見る限り、川内だからこそとも思うのですが、同じ学校現場にある者として、彼のマラソンへの注目度以上に、「公務員ランナー」という表現の周囲に、その彼の本来の職業への視線が強まっていたので、心配でした。仕事ぶりまで報道されてしまう・・・。
公務員はヒマ人だから、マラソンできるんだ。
市民ランナーに公務員が多い。
果たして、彼が民間企業の社員だったら同じことが出来たか。
しかし、逆に民間企業であったならば、これは大変なPR効果であり、つまりは実業団強化選手というのは、最初からそういうことである訳で、だからこそ競技生活が保障されている。
公務員川内は、川内であって、公務員全体ではありません。
マラソンのように、試合自体は個人競技であるタイプのスポーツは、どの競技も裾野が広がってます。
その中から世界レベルの競技者で出てきても不思議ではなくなりました。
日本はそういう社会になれたのです。
「カウウチ五輪出場」は、メダルの色ではなくて、そのことを世界にアピールできる絶好の機会であった訳です。