びーすけ工房でひとやすみ

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コンピューター革命 最強×最速の頭脳誕生

 6月3日、NHKスペシャルです。


 私はあまり愉快な気持ちでは見られませんでした。
 
 
 個人的に学校ITにかかわって20年、便利さや、もしかしたら有益性もあるかも知れないと思う反面、コンピュータ技術というものが、決まった組織性の中でコントロールされながらも、一方でその魅力が次々と商品需要の方向にも向かい、結果として社会問題も様々に発生させていることを感じています。
 
 
 教育現場では、むしろ、その後者の方が大きいといえます。
 
 
 番組では、技術進歩の側面が強調され、いまどきアニメを使ってその可能性の大きさが前面に押し出されるのですが、何故か演出意図がどこにあるのか、ぼやけます。もしかして、これは否定的な番組なのかという暗示さえ感じました。
 
 
 前回、私たちの文明がどんなに進歩しても、マクロ的自然の外側には出られないという趣旨のことを書きましたが、スーパーコンピューターの圧倒的処理能力で、人類が不可能であった知を獲得することがあったとしても、そのこと自体もこの自然に“組み込まれていた”と思うべきなのです。
 
 
 コンピューター技術の今後も、人類という生命存在の属性の一部だということです。。
 

 実に、そのような技術を生み出す人間の可能性は、その可能性を信じる人間存在が生み出しているので、その可能性が人間にはあるということの証明であるということです。
 
 
 自分の可能性を信じることは、絶望からの回避をもたらします。


 命あるかぎり人生に「手詰まり」はないということで、可能性は本来すべての人間の内にあるものでしょう。
 
 
 ただし、このような特別な技術を開発できるのは極少数の人たちであって、その人たちの中の突き動かされるものが生み出している訳です。想像するに、その動機は恐らく純粋なものでしょう。
 
 
 が、この番組をみて一番気がかりだったのは、その純粋さの”脆さ”の部分です。
 
 
 なぜなら、前世紀以来、人類は核開発という科学者の可能性に導かれて新しい世界をつくりましたが、その世界が未来に向けてどういう答えを出すかはまだ未知のままです・・・。