NHKの朝ドラですが、このタイトルの意味はなんでしょうか?
調べてみると、ドラマの最初の方で、左耳に障がいのある主人公が傘をさすと片方しか雨音が聞こえず、そして雨上がりに青空を眺めて「半分青い」とつぶやく場面があったそうです。そして、ドラマの最終週には、その雨傘がキーとなるラストがあるらしいのですが・・・。
抽象的ながら意味を感じます。
以前「半分の向こう側」ということを考えたことがあります。それとかなり前から人と人を結びつける言葉の力には限界があって、言葉は真実を伝えられないと思うようにもなりました。
自分の語彙力のなさを痛感しながらも、しかし一方で言葉が真実を伝えるものであるなら万民にその力が備わるはずで、そうなってないこと自体が言葉の無力を証明しています。
私たちに見えている世界は、実は「半分」なんだと考えることはむしろ自然なことだと思えます。つまり「見えない半分」が存在していることが「可能性の原点」である、と意味づけられるからです。すべてが見えているとしたら、そこは完全な認識世界で、それ以上に求める必要はなくなります。
未完成な半分。すでに古代からの二元論や、人間は不完全な存在という宗教的定義にもありました。
しかし、見えないものがあるから理想を求める人類文明の起点がそこにあることも確かで、それは高邁な人々の世界に限定されず、万民に与えられた人間性の本質でしょう。
言葉は音と意味で構成されますが、人は人のこころの内側を見ることは出来ません。それは「半分の向こう側」なので言葉で正しく表現することは出来ません。科学が相対的に真理に近づけたとしても、おそらく絶対的真理には到達できないであろう!
そんな大げさな言い方が、小さな人間関係の中にも当てはまります。
このドラマの最終回で、そんな寂しい人間存在に光りが差すような結末が来ることを願ってやみません。