今朝ニュースで知った言葉です。
言葉の響きがよくないですね。
風邪とか急な病気に罹った子どもをあずかってくれる保育所のことです。
日常、健常であれば保育園にあずけますね。
それが、急な病気になってしまった場合困るわけです。
保育園は医療はできませんから。
ただ、病児保育といってもいろいろな形があるようで、ヘルパーのように派遣されるものとかもあるようです。
看護士と保育士が連携して面倒をみるとか。
ただ、番組を見ていて、次の瞬間、考えました。
「子どもが病気の時でも仕事を休めないのだ・・・」と。
病気の子どもよりも仕事が優先される社会。
であれば、その事態に対して新しいサービスが起こるのも、この経済社会の構造。
さて、その子どもが育てられる目的性とは何であるのでしょう。
そもそも「目的」など、あるはずはなく、生命の連続とは人間の英知を超えたところにあるものでしょう。
自然界は、「食物連鎖」によってなりたっていると勉強しました。
これには弱肉強食のイメージがありますが、エネルギー資源も含めて人間は自然を喰って生存しています。
食べられる可能性のあるものであれば、なんでも。
今、その究極が近づいている気がします。
共食い・・・。
同じ種でありながら、食べあう。
子どもが病気であるのに、その母親を労働に駆り立てる企業とは、まさに生命を喰う、共食いの実態では。
ブラック企業
会社法改正で簡便に起業できるようになりました。
かつて、“偉大な創業者達”は、企業とは人を育てるところと明言しました。組織を大きく強くして、大勢の人間の人生創出をする。
今や、起業とは、労働疎外が生み出した、経済社会の中での“恨み細胞”の生成を意味しています。
これには、今までは考えられないような、多様な形質変化を起こし、これまで正常と思われてきた業態を次々侵しはじめています。
例えば、ITの進化が実店舗を脅かし、その実店舗は形質変化せざるをえない、とか。
こうした共食いは、その経済実体である人間の命も否定するのです。
非常に不思議なのは、体罰、いじめ、ネット犯罪、などなど、そういうことの危機を喧伝するこの世情にありながら、人が人を喰う、今の企業社会の有り様を追及する声がありません。
つまりは、人が人を喰うこと自体が経済活動になってしまったということで、喰うことはあっても、生み育てるという幸福追求はしないのだから、早晩、この国の人的資源は枯渇するということになります・・・。