勤務先の異動もあり、年甲斐もなく落ち着かない新年度にバタバタしてました。
世の中では、次々ニュースが飛び込み、一市民がこれだけの情報量を“享受”できるのだなぁ、と、改めて情報社会のすごさを感じています。
その中でで、「STAP現象」のような騒ぎには、いつもの思いがよぎってしまいます。
この話題が一部の報道からしか得られないことにも原因はあるのではと思うのですが、科学的な問題点が良く理解できない立場からすると、
「可能性がまったくゼロではなさそうなのに、どうしてこんなに一個人を潰しにかかるような報道ばかりなのだろう」
と、思うのですが。
確かに、人類の歴史に大きく影響を及ぼすかも知れない発見なのだから、“この国として”世界に笑われないような対応をしなければならないという「高品質国家」としての真面目さの側面があるのは間違いありません。
エライ学者の世界だけでなく、
現実、日々、その真面目さが美徳であるかのように、きっちり管理されている国民一人ひとりの意識からしても、いい加減な経過を知ってしまえば、“がっかり”もします。
今回の出来事は、科学的大発見かもしれないということで、これだけの話題性があるのですが、ただ、この騒ぎの背景にあるものは、同時に一般社会全体で、私たちが感じている「モラルの緊張感」、その空気感が事態の問題性を増幅しているのだと思います。
みんな、こんなに緊張して仕事しているのに・・・。
緊張は人を萎縮させます。
自他において、その緊張が行動にブレーキを掛けます。
ブレーキが前進をこばみます。
あちらこちらで、見えないブレーキがかかっているのを感じるのは私だけでしょうか。
4月。
なのに、何故か晴れ晴れしい気持ちになれません。