びーすけ工房でひとやすみ

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責任の意味

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東京新聞 2022/2/12

 5年前の春の出来事でした・・・。
 
 現役時代の山岳部顧問の記憶がよみがえります。
 
 高校山岳部の年間行事は、春4月の新人合宿、6月の強化合宿(それぞれの部員の状態が確認できます)、7月下旬の夏山合宿(最大一週間以内の中心イベント)、10月の秋山合宿、そして、3月春山合宿(積雪山域を含む)
 
 などの各学校独自企画の行事、そして、これ以外に県組織が企画する各種大会や講習会などが季節ごとにあり、それらは今も大枠変わっていないでしょう。
 私はこの県行事が嫌いで、殆ど参加しませんでした。宿所での生徒そっちのけの宴会のような懇談(山やに多い自慢話ごっこ)など、自分の中の否定要素が多すぎました。

 

 前者の学校企画の登山での死亡事故は過去にもありました。しかし、県組織行事で死亡事故は殆ど聞いたことがありません。


 個人的にも、生徒引率として責任を感じつつ、アルプスの岩稜縦走なども行い、当然気を引き締めて行動すると同時に、″困難を乗り越える″的意志や、そして趣向も含めて、無理な部分もあったと記憶してます・・・。
 
 この″那須事故の先生方″が今どうしてるか知りませんが、昔を振り返り、もし自分がこのような事故の当事者であったならば、当然に自主退職して、その後の人生も変わっていたと思います・・・。
 
 
 しかし、重要なことは、、、
 
 
 日本社会の「前例踏襲主義」の弊害ここにもか、、、ということ
 
 年間スケジュールがマニュアル的になってしまって、これは教科学習が「年間指導計画」で管理されているのと同じで、教員の「本来業務」でない(=ボランティア)部活動にまで年間スケジュール的なものが要求されて、殆どの若手教員、そしてあまり発想力がなく個の確立していないような″指導者″は、″前例者″に従う以外ありません・・・
 
 実は、コロナ問題で、国家の指導者までもが、″発想力のない前例者″であることがハッキリしてしまいましたが・・・・
 
 気候変動による季節天候パターンの変化も認知できず、いたずらに前例にしたがった行動がこの遭難事件を起こしていることは、ほぼ明確です。
 
 前述した、山岳部の夏山合宿などは、基本夏休みの頭、7月下旬が通例でした。これは「梅雨明け十日(とおか)」といわれ、この頃に殆ど例年梅雨が明けて、8月手前まで気象が安定する夏空(太平洋高気圧)、すごく快適な山旅ができるのが常識でした・・・
 
 今・・・。
 
 水害シーズンになってしまいました。
 
 
 冬から春にかけて、あまり一般の人が山に入らない時期、だが、自然界では大きな変化が起きています、、、、という認識をしなければなりません。
 
 組織運営のまとめ役にある人々が、そういうことが欠落した認知症に陥ってないでしょうか?
 
 なので、この事件で3人の「現場責任者」だけが罪に問われるのは、被害者が直接的加害者だけを責める・・・・″仇討ち文化″なのかと感じ、、、
 
 責任をとれない、とらない、社会全体の健全なバランス構図を描けない、上部構造の腐敗堕落を指摘せざるを得ません