私たちを取り巻く様々な現象に、″見えない″不安定要素を感じます。
様々な科学を駆使して、人間の快適性を追求して来たにも関わらず、管理されている=うまく機能している・・・はずの社会でさえ格差の不安定要素が充満して、ようやく″不思議な蓄え″で持ちこたえているだけで、誰も明確な未来予測が立てられません。
ウクライナ戦禍の原因も、この不安定要素に耐えきれず、復古的な衝動と欲望にたよった権力者の妄想、暴走であるといえます・・・。
コロナ禍も、もう3年目に突入して不確かな試行錯誤に未来予測もはっきりしません。
先日、群馬の山林公園に行きましたが、冬の季節、多くの野鳥が落葉した森を飛び回り、私たち人間の姿を恐れているのか、それでも好奇心で様子を見ているのか、被写体になる間合いに姿を見せてます。
多くが移ろう季節の時間の中で、人間の生活圏を超越した空間に生きています。このような小さな生き物が、遥か日本海の彼方のシベリアなどから飛んでくるなどは、とても想像できない驚嘆と、けなげさです・・・。
しかし、このもの達は、実は人間より強いのかも知れません。
何故か?
己(おのれ)という人間で考えれば、ハッキリ見えます。
人間のなんと弱きことか、と
同じ生命、、、、生まれれば、必ず死ぬ
恐らく、殆どの生命は、その真理には逆らわず、「自然のあり様」に従って生きているだけ
何故人間はその必然から逃げようとするのかといえば、
「自然のあり様」を超越している存在があると感じているから
これは脳のバグなのですが、その存在があるという錯覚、もしくは幻覚があることで、″それ″を対象化して、それを手に入れようとします。
他の生命も様々な対象物に好奇心はもちます、、が、食べ物でなければそれほどわが物にしようとはしません。ほとんどは・・・。
しかし、人間はそれを抽象化して、それを食べ物と同じくらいに大切なものと観念付けます。
長い歴史の中で、様々な抽象物が様々な価値観にちりばめられて、同じ人間でありながら、その違いによって、集合したり離散したり、時には反発しあったり、、、
結果、キリスト歴の21世紀、、、、こんなことになってます。
小さな野鳥でも地球半周できるほど地球は小さいともいえて、小さいがゆえにたかが人間ごときにあっという間に酷く汚染させられて、、、
それもこれも、人間の幻覚、錯覚がまねいていることであると分ると、
この先の人間存在の必要性、或いは不必要性、
たぶん、人間にはその答えは出せませんが、宿命的に、今感じている、見えない不安定要素が、近く答えを見せてくれる、と、、、
そう期待して、希望的に考えて打開しようという人々が集合して声を出していかないと、
幻覚、錯覚で脳が犯されている一部の人間の劇症的で自滅的な発作によって巨大な悲劇が起こるような気がしてしまいます・・・。