びーすけ工房でひとやすみ

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狂人の正体 その2

 ウクライナキエフの歴史を遡ると、モスクワより古いということが分かります。
 
 地図を見ると、この場所は、どっちの方角を向いてもヤバすぎます・・・敵だらけ!
 
 モスクワにロマノフ王朝ができた1613年以前の歴史はごちゃごちゃし過ぎておぼえられません、、、
 
 いろんな民族、一族、血で血を洗う戦争、謀略、暗殺、今日なら刑法で極刑となる罪人だらけの歴史
 
 1613年といえば、天下泰平の江戸時代が始まったころで、江戸時代は約260年、ロマノフ朝は約300年、中国でも清朝約260年の時代で、洋の東西、近世の安定期でした。
 
 19世紀後半~20世紀初頭にそのどれもが倒されます。ロシア・ロマノフ朝第一次大戦混乱期にロシア革命により、初の社会主義国ソビエトに行き付きました。
 
  
 ヨーロッパの歴史はキリストの奪い合いの歴史とも云えて、宗教改革などは資本主義発展の起爆剤になり、利益獲得争いは戦争も引き起こし、信仰・宗教は経済社会に混乱を起こす役割をもってました。
 
 ソビエトではキリスト教は否定されましたが、政治・外交の駆け引きの道具としては利用されて、そのことでこの国の宗教は滅びませんでした。
 
 
 さて、その宗教ですが、宗教の多くに「終末思想」があります。要は″おろかな人間の悪行″の末、「この世の終わり」が訪れ、人間は裁かれる、、、みたいな
 
 「自然状態」で万物にとけ込んでいる意識存在では、すべては流転する、、、みたいな思考になるので、基本終わりはなく、存在に差別、分別はありません。しかし、一神教で神の奪い合いをしている人間には勝ち負けが常に存在し、勝利は至上のものである一方、敗者の論理もあり、結局は生と死の時間経過、永遠とも思えるこの繰り返しの末、、、その最後を夢想します。
 
 その「最後」とは何か?
 
 そういう人たちには永遠の謎で、気の毒なことです。
 
 貧者も、最高権力者にも、それは分かりません。
 
 共通しているのは、自分の存在消滅への恐れ


 
 「自然状態の意識」、たとえば仏教ではこれを「さとり」とか、言葉で表現するのに難渋して、結局普遍化できないでいますが、要するに、流転を感得すれば、永遠の謎などなくなるのですが、
 
 謎が怖くて、怖くて、、、、知りたい、どうしても・・・
 
 こうして、狂人は自分でその終わりを演出したくなってしまいます。
 
 終わりにしてみせる。
 
 そういう方法がある。