びーすけ工房でひとやすみ

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自衛隊と徴兵制

 参院選がひたひたと近づいてます。
 
 ここ数年の内外の難題を前に、「自衛隊」という名称の憲法への書き込みが、現実味を帯びてきました。
 
 どうして、そんなに書き込みたいのか、、、やはり不思議です。
 
 ウクライナがロシアから受けている仕打ちを見る限り、日本から見ても隣国ロシアや中国の振舞いは不信から脅威になりつつある、、、という論調は、、、
 
 ああ、来た来たと、既視感が脳裏をよぎります。
 
 戦後の教育を受けてきた私たちにしてみれば、それは、この国の過去の過失を「学んだ」ことなのですが、ここにきて、やっと、学んだことが試される時が来たということです。
 
 
 ウクライナの現状→現実は甘くない→″目には目を″→それなりの準備は必要→1%から2%へ、、、→それくらいなら仕方ないか→ついでに憲法をかえとこう・・・
 
 まさか、今の国民が大きな勘違いをしているとも思えないのですが、
 
 
 ″前線で直接戦うのは自衛隊だから″
 
 ″がんばってもらおう、物心応援するのは当然″
 
 
 1930年代の日本国民は、実はそんな感じでした
 
 間違いに気づいたのは、ほぼ10年後でした
 
 
 ウクライナの現実を都合よく利用している″闇社会″が存在しているのでしょうが、ロシアや中国のように遮断されずに、これほどネット情報が個人的に手に入る国に暮らしていて、
 
 ウクライナの現実から容易に想像できるのは、戦争を実行しているのは、すべての国民であって、憲法に書かれる自衛隊だけではないということ・・・。
 
 戦争は、その準備を含めて大変なお金がかかります。
 
 国家の根本を規定する憲法に「自衛隊」という具体的名称を入れたいのは、国家予算の受け皿としての自衛隊の存在を第一義的に明確にするということ・・・。
 
 現状、高額な兵器をアメリカなどから購入するために、一般自衛官の諸雑費はギリギリ切り詰められていると聞きます。
 
 憲法に大きな予算の受け皿ができれば、自衛官の生活も変わるかもしれません。
 
 貧しい青年達が、生活のため、将来への糧のため軍隊に志願するという話しは世界中にあります。
 
 日本の庶民感覚では、災害救助等で活躍する自衛官の姿は日々見ていても、生活のために自衛官をやっているんだろうというイメージは希薄です。
 
 そういう他人事のような世論に求心力をもたせるのに、「自衛隊憲法条文化」は、効果があるかも知れません。
 
 
 と、同時に、ウクライナ戦争ではっきりわかりますが、もし理不尽な侵略を受けた場合は、憲法規定にある自衛隊が受け皿になって、今度は人間の動員が強制的に行われるでしょう。
 
 「必然的徴兵制」
 
 
 このタイミングでウクライナ戦争が教えてくれる
 
 生きた教科書
 
 
 私たちは、容易に想像できる未来について、よくよく考えて、「憲法が争点」となる、この参議院選挙に向き合わなければならないのだと思います。