7月いっぱいでテレビ朝日を定年退職されたそうです。
毎朝8時のモーニングショーにコメンテーターで出演して、夜10時台のニュース番組と両輪で〃テレ朝のクオリティ〃を支えてました。
昨年秋に「自民党国葬」を批判するコメントを問題視されて一時外されましたが、今春には復帰しました。
その玉川の定年退職が少し注目されているようで、その意味が玉川の〃立ち位置〃でなくて、人材として=視聴率稼ぎとしての価値が注目されて、1億円という数字もでているそうな・・・。
ぎりぎりコーナーを突いて、しかし枠は外さず、玉の勢いもあって聴く者の意識も納得させることで、毎朝8時台にNHKから視聴者を奪う存在だったわけです。
この時間帯は高齢視聴者=新聞購読者も多く、政治的時事問題への関心を引き寄せる。
定年退職後の身の振り方は人それぞれですが、安定した終身雇用で40年近くを過ごし、年金資金をベースにそこからは自分の時間=自由空間を得て〃残りの時間〃、人生「第三の誕生」を、学歴と賃金に縛られずに生き残る・・・
考える時間を獲得した視聴者世代が支持してきた立ち位置であったと思うのですが、、、
彼のこれからの行先は・・・
ただし、
そんな周囲の色目をよそに、当面は「元社員」として番組に継続出演するそうです・・・
「声を出して批判できない日本社会」
→も←も、↑も↓も〃根拠の無い自己保身社会〃
自分に矢印をつけたがらない、恐れる空気の社会
こんなことになってしまった形式だけの民主主義日本の中で、自分に矢印を付けているようで、付けていない、そういう存在の〃言葉の操縦者〃に価値がある・・・
そういうことなのだと思うのですが・・・
しかし
そういう存在は、別にマスコミとか目立つところでなくて、無名の人間集団の中でも存在しうるはずで、、、
なぜ、人々は″無名の玉川〃になれないのでしょうか?
ともかく、広い意味で誰もが定年を迎えます