生まれ持ったもの
外見
衣食住足りると、次は見た目
〃外見の不平等〃をどうにかしたい
現代、日本で美容整形をする人は200万人近くいるそうで、殆どは「美顔」、顔をいじる割合が多いそうです。
確かに、外見上肉体が露出される最大の部分は頭部なので、特にその一番見える顔に関心が強いということになります。
他の哺乳類にくらべて人間は寿命(人生100年時代?)が長いので、〃選べずに与えられた〃顔を保持する時間が長くなります。
これを悲劇とみるか喜劇と考えるか?
現代的な傾向では、情報発信社会になって、顔画像が世界に晒されるようになってしまったこと。身近な人間関係なら顔はキャラクター(個性)として〃共存〃しますが、意味もなくばら撒かれたら、「それ」だけになってしまい・・・
個性というのは相対的なもので、心身認め合う関係性に生まれるので、顔はその一部でしかありません。
ところが、名も知らず、その他大勢の集団に晒される現実は、「個性が無視」されます。
見た目だけになります。
これは、可愛くて人気のある動物が展示される動物園と同じ状態です。
「見た目が商品」になってしまうので、自分も商品価値を高くしたいと思う人がいても不思議ではありません。
そういう人が200万人近くいるということ
全国の公務員がおおざっぱ300万人くらいいると思いますが、けっこうな数とみるか、そんなものかと思うか・・・
先日「一瞬と永遠」を書きました。
一瞬であっても、
人間の歴史の中で「肖像」はけっこう重要で、著名人などは、その生き様と肖像はともに伝えられます。
ネット社会になって個人の情報発信でも、コンテンツの中の肖像の出し入れはその考え方によって扱いが変わります。
同じように、リアル社会でも、肖像の出し入れは個人の自由です。
私などは、むやみに人からカメラを向けられるのは嫌いです。肖像も自分の属性の一部で、年月の中で、自分の内面的形成も外面に出ると思っています。誰でもそうだと思います。
結論として思えたのは、
整形美容は「人工的外面形成」であるということです。
誰もが外面ににじみでる内面を持っていて、「人生は顔に出る」とは真実でしょう。
その両面にこそ、感動や憧れなどが発生し、その心的刺激が自分の内面をも磨きます。
心象が同時に表層にも表れる
そして、″つくりもの〃だとしても、人工表層を得ることで自分に肯定できる心象が形成されるのであれば、それも〃幸せな一瞬〃であるのだろうとは思えます。