びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

笑顔をわすれる

 自分のことです。
 
 だいぶ昔からですが
 
 
 たとえば、
 
 人類のこととか、
 
 世界中で様々な不幸があって、苦しみもあって
 
 形をかえて、それは身近にもあって
 
 明らかに人間が原因のことがたくさんあって
 
 原因の張本人は、のうのうと存在していて
 
 そして、そういうことに腹をたてている自分がいて

 笑えない現実の前で 
 
 「そんなこと言っても、どうしようもないじゃない」
 
 とあきらめてしまう周囲もあって
 
 祭り、娯楽、趣味に興じて忘却する大衆がいて
 
 かといって、自分は何もできなくて
 
 そんななさけない自分を恥じて・・・
 
 そんな日常が連続して、高速で時間が過ぎ去って
 
 考えてみても・・・
 
 
 不幸は生きている人間の実感
 
 死者にはもはや感情はありません
 
 生の連続の中に不幸があるという現実
 
 結果として、自死者も増える現実
 
 
 それを招くのは孤独?
 
 高齢者の孤独
 
 勤労者の孤独
 
 子どもの孤独
 
 
 AIとかSNSとか、〃第7の感覚〃が発達したことで、「新しい孤独」も発生
 
 人と人が直接かかわらない
 
 文字と仮想がつなぐ、空気感のない接続が、
 
 あきらかに孤独を助長する
 
 仕方ない、つくられた笑顔の後ろがわに
 
 笑顔を忘れた孤独が存在しています
 
 
 ただ、しかし・・・
 

 孤独自体は不幸ではなくて、それは原因が除去されることで回避されうるもので、結果自死者も減少します
 

 それよりも、
 
 山野を巡っていた中学生の頃に思ったことですが
 
 自然と人間の関係、、、

 最近顕著に感じる自然界の異変
 
 なぜか、いつか笑顔が復活するのでは
 
 という予感もします