びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

記憶の必要性

 老齢期を迎え、記憶の衰えを自覚します。
  
 人の名前とか、地名とか、歴史的出来事、さっき話したこととか、ちょっと置いた物の場所など、、、
  
  
 個人差はありますが、多くの方々が同様に自覚してるようです。
 
 記憶とかの情報を保管するのは脳だと思いますが、脳は肉体の器官の中で、全身をコントロールする代えのきかない重要な部分であるので、データ保管装置が破損するとコンピュータが作動しないように、脳も〃経年劣化〃すると、上記のような症状が出る・・・、
 
 と、考えると、情報テクノロジーの時代、この劣化を補う方法はないのか?
 
 現在、大量のデータを、個人のPCから離れて外部ストレージに集積保管するクラウド技術や、自由に情報を世界に発信できるSNS、そして200gほどの手のひらサイズの道具でそれらの情報の出し入れが可能になって
 
 実際、人の名前が出てこなくなってしまって、家族で「名前何だっけ」などと、″思い出しくらべ〃しますが、なかなか出てこなくて、意地になって思い出せそうになって、アッとふいに思い出したり、そんな滑稽な日々の中で、
 
 「確かあのドラマに出てたね」
 
 の〃関連事項〃への検索で、瞬時に名前に行き着きます。
 
 これは、思い出したわけではないので、「記憶の回復」とはいえないかも知れませんが、少し前にはなかったツールを使って、その情報を取り出すことが可能となり、
 
 ・・・目的は達成・・・されます
 
 肉体的衰えは、食生活や運動でサポートする必要がありますが、人間として精神世界に生きていくために必要な記憶は、情報技術の驚異的発達によって、保護・保管されているので、
 
 今では一つの情報に行き着くための通り道がいくつもあるとも思えます。
 
 
 ジジイの話になってしまいましたが、このことは、むしろ子ども達の教育の方法でも考えさせる部分があります。
 
 成長の途中で、幾度も試されてきた学校のテストや進学入試の殆どは暗記力を試されるばかりで、不随する面接試験なども志望動機や過去の経歴を尋ねられるような「結果確認的」なことばかりで、
 
 発想力、創造性、検索力、構成力、企画力 等々
 
 未知数なことを確認し、その可能性を見出せるような、
 
 単純にいって″個性を透過〃できるような、そのような教育は行われていない、ということです。
 
 暗記力、記憶力を試すような人間選抜はもうやめましょう!
 
 〃そんな記憶力〃は、もうあまり役に立ちません。せいぜい趣味のようないろいろ覚えて楽しむ世界の話です。
 
 情報テクノロジーが今後も発展し続けると保障されるならば、脳に負荷をかける、ストレスのたまる単純暗記は少し横に置いて、直観的に感じる現象への興味を、さらにつながる事柄に導く自由な検索力を育むことで、さらに新しく、普遍的な解決策に近づく発見への導きを生み出すような、そんな予感を感じます。