不思議 神秘的・・・礼儀正しく親切・・・
明治維新以来150年、来日する外国人が戸惑いとともに、それを好意的に解釈する向きもあるようで、
ためしに「日本人のほほえみ」で検索してみると、けっこう沢山の記事がでてきます。
~ああ、やっぱり、気になる人は多いのだな~
ただし、物事には必ず表裏があるので、
つらく悲しいのに 理不尽にもガマン ほほえんでごまかす
むしろ近頃、この「日本人のほほえみ」のデメリットの方が、腹立たしく感じることも・・・
しかも、「このことの反動」が増々顕著になってきていることの心配も
過酷な労働条件・低賃金、様々なストレス、いじめ・・・、
なのに、「は~っ」とためいきまじりの、、、苦笑い
それぞれの事件、事故が身近な環境で起きていて、問題の本質が社会全体にあるのに、加害者も被害者もごく狭い空間の中でもがき苦しみ、破綻し、
それでも、ほほえむ
これでは、単に笑ってごまかすのと同じ
なんの解決にもなりません
そこで、
声をあげる!
どうなるか
とてもわかりやすい反応がかえってきます。
「ああ、あの人ね・・・」と、
全体の〃雰囲気〃に対して、異なった要素を発する存在に対しては、これはある種「個性」に可能性を認める〃欧米社会〃と異なり、「ことなかれ」がスタンダードな日本社会では、
個性=異分子
人とと違いの、人とはその他大勢のことですが、その人と異なる存在は差別の対象になります・・・
欧米社会にも激しい差別があります。文化的、民族的、宗教的差別も顕著で戦争にもなりますが、一方劣等感から新しい文化が生まれるような、個人個人の能力は発揮しやすい世界でもあります。
残念ながら、「出る杭は打たれる」日本社会は、破壊的な素質でもなければ個の発現は難しい環境です。
結果として、環境になじめない個は「発達障害」という括りにされて、それはそれで才能が発揮されれば〃商品価値〃があったりして尊重されたりしますが、多くは前述のとおりの辛い境遇にさらされます・・・。
このことは、一人が叫んでも、何も変わらないだろうと思いますが、今、世代交代もすすみ、末路的結果として、少子化人口減少、才能の流出みたいなことで、だんだん小さくなって、今後100年くらい人類が存在できるとして、やがてなんか違う世界が出現するのだろうと想像できます。